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日常の中のいいなと感じる瞬間を残した日記たち☺︎
就労支援B型に通っているある男性と話した時のこと。 俳優になった気分かあ、、、 まっすぐな心に 心を打たれてしまいました。 バカにしているとかじゃなくて 私だったら絶対にそう思わないだろう。 配達員役になりきっている感じなんだろうか。 自分と同じ人なんていないけど 大きく違うなと感じる瞬間って もっと知りたくなったり 反対にぐっと離れたくなることもある 感情が動く瞬間って面白い と思ったある日のこと。
この前、ある患者さんの採血をしていた時のこと。 60代の男性で口数は少なめ。 こちらが聞いたことに対しては答えてくれるけどそれ以外は話さないような方。 会話が生まれるとは全く思っていない状態で採血していると 突然「看護師さんはここの出身ですか」と聞かれた。 おお、急に? なぜこの質問? まあいいか、 「実は大阪なんですよ〜」 「僕もね、仕事で大阪住んでたことがあるんですよ」 少し会話が続いた。 なんでこのタイミング?なんでこの質問? 正直とても驚いた。と同時に話が
最近通勤中、毎日のようにすれ違うおっちゃんがいる。 このおっちゃんは一回だけお話したことのある 施設の警備員。 基本歩いて通勤するようにしているのだが、 ある時、いつものように歩いていると 前方の車とすれ違う時にクラクションを鳴らされた。 何だろ?と車を見ると おっちゃんがニコニコ手を振ってくれる。 そんな事が続くようになった。 段々 今日も通るかな、と気にかけて歩くようになり クラクションを鳴らされなくてもお互いに気がつき、よっと挨拶を交わすように。 多分少しスピー
週1で健康チェックに行くグループホームがある。 比較的介護度は低めでお元気な方々が過ごされている。 ただ認知症はあって、わたしが何者なのかは覚えていない人がほとんど。 毎週お会いするたびに 「〇〇クリニックから週1来てます、看護師の〇〇です。」と自己紹介する。 「おお、ご苦労さんやね」 こんなやりとりをほぼ毎回する。 「医者にはほとんど世話になったことがない」 という90代のおばあちゃん。 いつも「調子はどうですか」 と聞くと 「ええ大丈夫です。またお願いします。」
先日、父と祖父母の家に遊びに行った。 その時のあるやりとりを振り返った文章です。 今の私の仕事(地域医療、地域看護師)が話題となり 「命を助けることが、 必ずしもその人のためになるとは限らないことがある」 のような話をした。 これは今の職場で働いて思うようになったこと。 すると、「忘れられないことがある。」と祖父が口を開いた。 昔、祖父の近所で自殺未遂があり 「助けて」の声が聞こえて、駆けつけると 首を吊っていて 祖父はすぐさま包丁で首が括られたロープを切った、と。
1ヶ月ほど前の話だが、インド人の友達と遊んだ。 「最近どう〜?」と近況報告会をする。 「特別嫌なことがあるわけではないのに、気持ちが沈みがち。」 「忙しすぎるわけじゃないからこそ+αで何か活動しなきゃと思うのに 何もできていない自分に焦ってしまい、気持ちも落ちる。」 確かこんなことを彼女に話した。 すると、 「別に何もしなくていいよお〜」 と明るく返された。 それを聞いて “そう思えたらどんなに楽だろう。それができないから落ち込んでるのに“ なんて思っていると 「何も
どんな問いに出会うかで人生の豊かさが変わるような気がする。 この前開催した「タンボdeタイワ」というイベントを終えて そう思った。 「タンボdeタイワ」というのはその名の通り 田んぼで対話をするというもの。 これじゃざっくりすぎるので、ちょっと紹介。 「最期はどこで過ごしたいですか?」 地域医療の現場にいて人生会議(ACP)という言葉をよく耳にします。 簡単に言えば 「延命治療は望むか?」 「食べれなくなった時胃瘻は希望するか?点滴したいか?」 「最期はどこで過ごし
私は新卒で地元の大阪から福井へ移住した。 福井県で地域医療の現場で働くようになってから 祖父母に会いに行く回数が増えた。 祖父母も私の実家がある大阪に住んでいるけど、 少し距離は離れていることもあり お正月の集まりで年一回会う程度だった。 正直、会うのが嫌ではないけど 楽しみというわけでもなかった。 就職するまでは高齢者と関わる機会が滅多になかったからか、 正直、祖父母への接し方がわからないというか、興味が湧かなかった。 でも、ここへ来て どんな風に生きてきて、今何を
去年からクリニックでお借りしている畑がある。 私が「畑がしたくて〜」と呟いていると、 「うちの使っていない土地使うか」と声をかけてくれる患者さんが 現れた。しばらく使われていなかったこともあり、草取りに苦戦しながらもぼちぼちやっている。 今年もそろそろ動き出さねば、ということで 今日はみんなで耕すことになった。 メンバーは勝山福祉避難所に避難している輪島の方々とそこのスタッフと、うちのクリニックのスタッフ。 そして耕運機を貸してくれるおっちゃんと、 畑のアドバイスをもらうた
私が働いているクリニックに常連さんがいる。 病院なのに「常連さん」 病気で大変というわけではなく クリニックにあるマッサージの機械を使うために 毎日のようにクリニックにやってくるのだ。 その常連さんは70代の女性で、息子と旦那と3人暮らし。 息子が2人いるのだが、「女の子が欲しかった〜」とよく言っている。 それもあってか、私のことを「孫だ」と思って接してくれているらしい。 私は1人で新卒で知り合いもいない福井県にやってきた20代。 生活のことを色々気にかけてくれる。 「
この前、88歳の患者さんと一緒に花見に行った。 この花見ももう3回目🌸 今年もたまたま道で遭遇した時に 「暖かくなってきましたね〜」 「桜はもうすぐですかね〜」 「あと少しやろね。今年は遅い。また見に行きたいわ」 「じゃあ今年も行きますか」 「いいんか、こんなばあさんと」 「もちろんです、迎えに行きますわ」 「あら嬉しい、あとは天気だけやね」 こんな会話をして約束。 当日はよく晴れました。 屋台で食べ物を買って、階段に座っておしゃべりを。 「この木も昔はもっと綺麗だっ
最近気づいたことがある。 死にたいとも思わないけど 死にたくないとも思わない。 もし仮に明日死んだとしたら、 悲しんでくれる人がいることは想像できる。 逃れたい何かがあるわけでも 何かに絶望しているわけでもないけれど。 それなりに仕事して それなりに休日に予定があって それなりに日々、楽しいことはある。 仕事が終わりひと段落した時に、 なぜか焦りのような、 寂しさのような感情が湧いてくる。 めちゃくちゃ多忙というわけではない だからこそ 空いた時間を充実させなければ
自宅に伺うと、 患者さんのこれまでのことをより知ることができます。 「実はねこれ私作ったの」 売り物かと思うほどの作品を披露してくれる方も。 「やることがない」「寝てばっか」といつもおっしゃるので 欲しい人がいたら、作ろうってやる気になって、日々も充実するのでは? なんて考えて 「作ってくれませんか」と図々しいお願いをしてみると、 「もうやりとないわ」「十分やったで」 やり切った、という感覚。 私は感じたことがないかもしれません。 その域に達するとどんな世界が待っ
今日も1日お疲れ様です。 あぁ今日も色んなことがあってあっという間の1日。 ほっと一息ついて今日の出来事を思い出してみました。 「天気良い日続くのに、うちに干すもんないんや」 「洗濯して欲しいもんあったら持ってきね」 診察の帰り際に言ってくれる方。 「映画のチケットあるんやけどいらんか?」 とクリニックに電話が入り、 「欲しいです〜」と答えると、 そのためだけに職場まで来てくれた方。 「みんなで食べね。」と サンドイッチを差し入れしてくれる方。 「ハッピーバレンタイン
勝山市にケアが必要な避難者を受け入れる福祉避難所がオープン。 すでに8名が、輪島市の福祉避難所より移動されました。 ここでの目標は、 生活環境を整えて心身共に回復し、前向きに考えられる力、本人が元々持っている力を引き出すこと。 一生暮らす場所ではなくいずれは輪島へ帰ったり、もしくは別の場所へ移動されることになるでしょう。 ここはどこなのか、なぜこんな所にいるのか よく分からない方も複数名いらっしゃいます。 地震のことも覚えていない。 「ここはどこ?」 「福井県の勝山で
1/13〜1/21 にR6能登半島地震の支援に行きました。 輪島には知り合いがいたこともあり、何ができるか分からないけれど、何か力になりたいと思いキャンナス災害支援チーム(ぐるんとびー、キャンナス、オレンジ)にジョインさせていただきました。 場所は輪島市の福祉避難所。高齢者や障害のある方など要配慮者を対象とする避難所です。 9日間の滞在でみたもの、感じたことを残そうと思います。 高齢者は多疾病併存の方も多く、被災による変化で容易に衰弱してしまう状況。 持病の悪化やフレ