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小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』5/23(木)【第6話 髪の香り】

晴香がコンビニで支払いを済ませて、
こちらに向かう時に私に気づいた。
 
晴香「あ、辻本先生、おはようございます。」
拓也「おはようございます。お買物ですか?」

晴香「いや、違うんですよ、
忘れないうちに、ガス料金を払おうと思って。
これって、地味に面倒くさいですよね。
辻本先生は、お買物ですか?」
 
私の中での、晴香の捉え方が
明らかに以前とは変わっている。
しかし晴香の中では変化がないように感じる。
そんな思いを口にすることなく、私は答えた。
 
拓也「朝食のパンを切らしていて」 
晴香「そうなんですね、
久々のお休みを楽しんでくださいね」

そう言って、晴香が立ち去ろうと
していたが、咄嗟に返した。
拓也「高見主任は、今日、お休みですか?」
 
後になって考えると引き留めるかのような
タイミングでの質問だったと後悔した。
晴香は、そんなことを気にする
素振りもなく躊躇なく答えた。
 
晴香「はい、私も休みです。
家事を溜めてるので片付けようと
思ってます。意気込み的には・・」
そう言って、晴香はおどけてみせた

呼び止めた手前、話題を振らなくてはと思い、
私は続けた。
 
拓也「病院の仕事だと、平日に
なかなか家事ができないですよね。
それで、どうしても休日にまとめて
やることになりますよね、同じです。

あ、そうだ!今日、実は、
豚の角煮を作ろうと思ってるんです。
もしよければ、少しもらってくれませんか?

少ない量作っても美味しくない
という理由で、量を作ってしまうんですが、
結局、毎回余らしてしまって。

料理が特段、得意というわけでは
ないですが、角煮は少し自信あるんです」
咄嗟とは言え、なぜ、そんなことを言ったか、
自分でもわからない。

そもそも、角煮を作ろうと思ってもなかった。
後になって思ったが、晴香に接近する
口実だと受け止められかねない。
完全に、勢いで言ってしまった。
フォローしようと思ったとき、晴香が返した。
 
晴香「いいんですか?!
じゃあ、夕食を一緒にどうですか? 
先日実家から地元の日本酒を送ってきたんで、
それ持っていきます。
あ、おじゃまして迷惑じゃなければですが。」

晴香の言葉で警戒されてないことはわかった。
私は畳み掛け、言った。
 
拓也「昼前から2時間弱で下準備をして、
2時間くらい煮込みます。
なので、15時過ぎにはできますから、
16時で、ご都合はどうですか?」
 
晴香「大丈夫です。じゃあ、
頑張って夕方迄に家事を終わらせます」
晴香はそう言ってコンビニを出て
マンションへ小走りで帰って行った。

その背中を見送りながら、私は、ふと思った。
このまま逃れられない状況にならないか?
そもそも、私自身が晴香との距離を縮めたい
と望んでるのだろうか?

考えてはみたが短時間では答えは出せないと、
自覚はしていた。
 
何より勢いだったが夕方迄に
角煮を完成させることの方が喫緊の課題だ。
その課題に挑むため、パンと牛乳を手にとり、
足早に会計を済ませた。
 

医大時代、学費と、幾ばくかの生活費は、
親に出してもらっていた。
実家は代々開業医だったので、
経済的には、それなりに裕福ではあった。

かと言って甘えてばかりでいいわけではなく、
学業が疎かにならない程度にバイトしていた。
 当時住んでいたアパートの近くの、
個人経営の小料理屋だった。

医学部ということもあり、週2~3回ほどしか
シフトは入っていなかった。
ただどちらかと言えば器用だったこともあり、
仕込みを任されたりもした。
その中で、レシピを覚えた一つが豚の角煮だ。
 
何かの機会に、実家に帰省した時に
作ったら、好評だった。
それ以来、唯一他人に振舞える料理になった。

この料理は、下準備を終えてしまうと、
あとはひたすら煮込むだけだ。
その間、何もすることがないので考え事には、
ちょうどよかった。

晴香と、はじめて身体を重ねた日の出会いは、
偶然でしかなかった。

そこからの急接近は、元々秘めていた
彼女への思いが高まったからか?
それとも人の温もりを求め、
それこそ相手は、誰でもよかったのか?
 
極端な二択に、敢えてしてみると、
限りなく、後者に近いと思える。
ならば、今後の晴香との関係をどうすべきか、
という問いが追加された。

しかしこの問いは自分だけで完結しないので、
それ以上考えるのはやめた。
 
終わりのない思考を巡らせるのはやめ、
料理の準備に集中した。

サイドメニューの準備にもとりかかった。
とは言え、出来合いものを
盛り直すだけなのですぐ終わった。
一通りの料理にラップをかけ、
冷蔵庫にしまい全ての準備が終わった。

ほんの少し、ソファに横になろうと思ったら、
眠りに落ちていた。
意識を引き戻したのは、チャイムの音だった。


インターフォンを覗くと、
白いセーターを着た晴香が立っていた。

インターフォンで答えることなく、
急いで扉を開け、彼女を迎え入れた。
彼女は持っていた紙袋を開きながら言った。
 
晴香「日本酒持ってきました、
あと私の地元のお菓子もよかったら」

紙袋の中を覗きこんでいたら、
晴香の髪から、洗いたての香りがした。
私は反射的に言葉を発した。
 
拓也「晴香さんの髪、良い香りしますね」
晴香「あ、汗かいてしまったので、
シャワーを浴びたんです」
なぜか、答える晴香が照れてるように思えた。
 
晴香の、そんな姿を見て、思い浮かんだのは、
晴香と身体を重ねた、あの夜の光景だった。

(第6話 終わり)次回は5/25(木)投稿予定

★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

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