読み切り小説『囚われの日々』
『小雨降る、ある夏の日』
夏のある日、僕は、あてもなく歩いていた。
降りだした小雨は、まとわりつく夏の暑さに
更に不快さを加えた。
母親と、はぐれてしまった僕は
視界も定まらないまま、街中を歩く。
ふと、その時、聞こえた、
トラックのクラクションの音が
僕を現実に引き戻した。
音のなった方を見ると、
大きなトラックが停まっていた。
道の真ん中に居たという認識はなかったが
僕は、信号のない横断歩道の上で
立ちすくんでいたようだ。
その場からすぐに、
立ち去らなければいけないのに
クラクションの大きな音に驚き、
逆に、体が動かなくなっていた。
と、その時、後ろから誰かに身体を掴まれた。
振り返ると、モノトーンの服で身をかためた
見知らぬ男がいた。
僕は抵抗することもできず、
その男に抱きかかえられた。
そして男は「さぁ行くぞ」という言葉と共に
僕を抱きかかえ、その場から連れ去った。
僕は声を出すこともできず、
身を委ねることしかできなかった。
『囚われ部屋』
見知らぬ風景の中、その男は、
僕を抱え、ある建物の2階まで来た。
ドアを開けると、そこには広めの部屋があり
男は、僕をその部屋の床におろした。
男は、僕に向かって何かを言っているが
僕のアタマには入ってこない。
「お母さんに会いたい」
そんな気持ちが心を占めて、
そして僕はただ、なくことしかできなかった。
男はその後、その部屋を立ち去ったが
入れ替わり立ち替わり、
その男の仲間と思われる男たちが
部屋を訪れる。
僕の心は不安と恐怖で埋めつくされていたが
男たちは僕に危害を加えることはなく
食べ物を持ってきたりもした。
ただ、この後も危害を加えられない保証など
どこにもないとも、僕は思っていた。
結局、その日は、
その部屋にとじこめられたまま
一夜を過ごすこととなった。
僕をここに連れてきた男や、その仲間は
その晩、この部屋には居なかった。
僕は独りぼっちで
暗闇につつまれた部屋で眠りについた。
翌朝、外の階段を上がってくる音がして
その後、ドアが開けられると、
僕をここに連れてきた男が部屋に入ってきた。
手には、僕のものと思われる朝食を
持っていた。
『囚われの身で過ごす日々』
その部屋で数日を過ごすうちに
なんとなく、わかってきたのは、
その男たちは、僕が囚われている部屋の
下の階で何かをやっている。
その合間に、この部屋に来ているようだ。
男たちが、下の階で何をしてるかは
わからないが、いわゆる"表向き"の
商売かもしれないと思った。
そして夜になると男たちは
その建物から居なくなるようだ。
何度か、その部屋から逃げ出そうと
試みてみたものの、
子供の僕には無理だった。
そんな日々が続くと、次第に僕は
そこから逃げ出し、自由になろう
という気持ち自体も失くしていった。
幸いにして、食べ物も与えられ、
危害を加えられることもなかったからだ。
ここに来てすぐの頃は、
男たちの目的はなんだろう?という
思考を巡らせることもあった。
しかし、この日々に慣れてしまった僕は
そんなことを考えることもなくなっていた。
そんなある日、その男とともに、
今まで見たことのない男が部屋に入ってきた。
その見知らぬ男は、まるで
品定めするかのように僕を眺め、
時折、僕の身体に触れたりもした。
見知らぬ男は、長居することなく
その部屋を立ち去ったが、
僕は再び「この男たちの目的」に
考えを巡らせることとなった。
その日から、この部屋の主と思われる
男たちが、見知らぬ人を連れ、
この部屋を訪れることが度々あった。
見知らぬ人たちは、性別も、年齢も
バラバラだったが、
品定めをするような視線を
僕に向けることだけは同じだった。
そんな日々は、自分が囚われていることを
改めて僕に認識させるには十分だった。
そして今日も、この部屋の主は
ある女を連れて、部屋に入ってきた。
僕を品定めするような視線は同じだが
どこか、その女の視線には違うものも感じた。
何故かはわからないが、
あの日、はぐれてしまった
お母さんの優しい目を思い出してした。
その後も、何人かの見知らぬ人が、
この部屋を訪れたりもした。
『再び訪れた不安と絶望』
そんなある日、男に連れられ
再び部屋に来たのは
僕が何故か、母親を思い出した
あの女だった。
女が最初にこの部屋を訪れた時とは違い、
女は、僕に視線を向けながらも
この部屋の主の男と話す時間が多かった。
その会話の内容を聞こうという思いは
全くなかったが、
この部屋の主が、その女に向かって言った
あるフレーズが、何故か耳にとまった。
「あなたが以前、ここに来た日から
あなたの決心がついたなら、
この子は、あなたに引き渡そうと思ってた。
あなが決心がついたのなら、
早いほうがいい。
今日、この子を連れて帰ったらいい」
母親と、はぐれたあの日以来、
忘れかけていた不安と絶望を、
僕は再び思い出した。
そんな心境が、再び、僕の身体を硬直させた。
身動きをとれない僕に、
この部屋の主の男は躊躇なく近づき、
あの夏の日のように、僕を抱きかかえた。
持ち上げられた僕は、
一瞬、重力を失ったような錯覚に陥った。
そして、ふいをつかれ抵抗できない僕を
足元にあった大きなバッグに押し込んだ。
そして驚くほどの手際の良さで、
ファスナーを閉めた。
初めて、この部屋に連れて来られた
あの日の夜のような、
僕は再び、暗闇の世界に包まれた。
暗闇の外では、男と女が会話を交わしている。
その会話の内容を僕は理解できなかった。
会話が途切れると、
僕の身体は揺らぎを感じた。
勘でしかないが、どこかに
移動しているのだと思った。
このバッグを運んでいるのが
男のほうか?女のほうか?
はたまた、別の人間かはわからない。
ただ一つ言えるのは、僕の心は
底知れぬ不安と絶望に支配されていることだ。
この部屋に居続けることは、
母親と会うことから遠ざかることと、
ほぼ同義だと思いながら、
それでいて、一種の安定を
感じていたのも事実だった。
これが「生き物」としての
「環境適応力」ってやつなのかもしれない。
「悲しいな、、、」僕は呟いた。
「母親に再び会えないかもしれない」
という思いよりも、
「二度とこの部屋に戻って来れないかも
しれない」という思いが浮かんだことは
皮肉でしかないと思った。
そんな思考に浸ることに疲れた僕は
こんな状況に置かれているにもかかわらず
思考を放棄し、目を閉じて眠ることにした。
「悲しいな、、、」
もう一度、このフレーズを呟き、
眠りに堕ちた。
『新たな囚われ部屋』
次に目覚めのは、大きな振動を感じた時だ。
バッグがどこかに置かれたのだろう。
その振動の後、女の声が聞こえた。
「この子を今日、ここに
連れてくるつもりはなかったから
まだ、あれを準備してないの。
今から準備してくるから、ちょっとだけ
この子を見ててくれない?」
「わかった、、、」
女が発した言葉の内容はわからない、
ただ、それよりも、女の投げかけに応えた
男の声に聞き覚えがなかったことは、
僕の「本能」にむけて、
アラームとして発せられた。
と、次の瞬間、その声の主と思われる
見知らぬ男が、バッグのファスナーを開けた。
ふいをつかれて僕は、一瞬だが、
その男と目が合ってしまった。
その瞬間に感じたのは、間違いなく
「恐怖」だった。
そして、それは、僕の身体を
「反射的」に動かすことになった。
その男に対し、ふいをついた僕は、
近くにあったソファの後ろに、
逃げ込むことに成功した。
「これで時間を稼げる、、、」
その時は、そう思ったが、今になれば
愚かな妄想だったと言わざるを得ない。
今になって思えば、この男はいつでも
このソファを動かし、僕を囚えることは
それほどの労力を伴うことなく出来たはずだ。
なのに、この男は、それをしようとは
しなかった、、、、
その真意に、この時気づけなかった自分は
「なんて愚かなんだろう、、、」
と、今になって、思う、、、、
しかし、僕を現実に引き戻したのは、
その見知らぬ男の一言だった。
「お前、可愛いな、、、」
その言葉の意味はわからなかったが
僕は、新たな場所で、
新たな囚われの日々が
訪れることを察した。
と、その時、あの女が部屋に戻ってきた。
そして手に持った袋から、何かを取り出した。
それを見た男は、ソファを少し動かし、
私の身体を捕えた。
男が僕を女に差し出すと、
女は手に持っていた何かを
僕の首に巻きつけた。
「もしかして、この何かは、
僕の首を締める道具なんだろうか?
これが新たな囚われの日々の始まりか?」
得体の知れない不安を感じた僕だが、
それ以上の思考を自ら放棄した。
『9月1日』
そんな日から、約1年が経った、、、
この部屋から出ない僕には
本当に1年かは、わからないけど、、
首に巻かれた道具で危害を加えられる
ことはないまま、時は過ぎていた。
はぐれてしまった母親に、
もう一度、会いたい。
そう思った日も、現実だっただろう。
しかし今は、
そんなことを思うことはなくなった。
起こりもしないだろう事を思うより、
目の前にある現実に浸り
その事に思いを巡らせるほうが
僕の心は楽だったし、自然な事だったからだ。
あの夏の日、最初に囚われた部屋と違うのは、
この場所では、夜も独りにはならず
女が同じ部屋に居ることだ。
最初の部屋と比べれば、それだけでも
逃げ出す事が現実的ではないと思った。
いや、そもそも、ここから
逃げ出そうとは思わなくなった。
その日、目覚めると、女はまだ眠っていた。
僕は身体を起こし、女の部屋を出て、
光がさす別の部屋の方に向かった。
その部屋には男が居るようだ。
僕は、この部屋に入るときは決まって
自分からドアを開けず、
ドアに身体を当てて音を出し、
男に気づかせて、男にドアを開けさせる。
この朝も、その「習慣」通りにした。
ドアの音に気づいた男は
この朝も、歩み寄ってドアを開けた。
僕は敢えて、男とは目を合わすことなく
男の横を通り過ぎ、
さっきまで男が座っていたソファに座る。
そうすると決まって、男は僕の横に
腰をおろす。この朝もそうだった。
男が座ったのを確認してから
僕はいつも通り、男に向かって言った、、
『僕の日常』
「にゃーーーーーーー」
(訳:パパおはよ、ねぇ頭撫でて、撫でて)
パパは私に向かって
「むぎ、おはよ。よく寝れた?」
と言いながら、僕の頭を撫でた。
「にゃー、にゃー、にゃーーー」
(訳:あぁ気持ちいい!
パパに頭を撫でられるの好きだー
ねぇ、もっと撫でて、撫でて!)
そんな快感に浸っていると
女が部屋から出て、洗面所に行った音がした。
僕は反射的に洗面所のドアの前まで走った。
「にゃー、にゃー、にゃーーー!」
(訳:ママ、おはよーー。
ねぇ、遊ぼうよ、遊ぼうよ!)
「もう、この囚われの日々から離れたくない」
僕はそう思い、上がったテンションを
抑えることが出来なくなった。
ママの向かい側の部屋のドアノブに飛び付き
自分でドアを開けた。
中では大好きなお兄ちゃん
(パパとママの息子)が寝ていた。
お兄ちゃんは、休みの日は
昼前まで寝てるが、
僕はお兄ちゃんの布団に潜り込み言った。
「にゃー、にゃー、にゃーーー」
(訳:お兄ちゃん、起きてよー。遊ぼうよ!)
今日も楽しい一日が始まった。
その日の夜、いつも通り
皆が夕食を食べている横に僕も居た、
夕食が終わったあと、いつもと違い、
パパが部屋の電気を消した。
僕が最初に閉じ込められた部屋での夜のように
暗闇に包まれた、とそう思ったその時、
ママが炎が揺れる何かを手にもって
再び食卓まで来た。
手に持っていたものを食卓に置いたママは、
僕を抱きかかえ、
その炎が揺れる何かの前に来た。
そして言った。
「むぎちゃん、一歳の誕生日おめでとう!
まぁ、むぎちゃんの本当の誕生日は
わからないんだけど、
9月1日を、むぎちゃんの誕生日に決めたから
今日はむぎちゃんのハッピーバースデーよ」
僕には何のことかはわからないが
ママが何かを話し出した。
「私が猫を飼いたいって言ってたら、
同じ職場の杉本さんが
佐藤さんを紹介してくれたから、
むぎちゃんと出会えた。
佐藤さんは中古車屋さんをされてて、
それで猫が大好きなの。
それで捨て猫や、迷子猫を放っておけなくて
そんな猫を保護しては、
飼ってくれる人を探してるの。
飼い主が見つかるまでは、
中古車屋さんの2階で猫ちゃんの面倒見てる。
中古車屋さんの従業員の皆さんも
猫が好きみたいで、皆で面倒みてたそうよ。
そして、杉本さんが
佐藤さんを紹介してくれた時、
ちょうど保護されてたのが
むぎちゃんだったのよね。
とりあえず佐藤さんのお店に行って
むぎちゃんを見せてもらったら
もう一目惚れだった。
ただね、パパには、
私が猫を飼いたいと思ってるって
言ったことなかったから、
正直、OKしてくれるか不安だった。
なんか、なかなか言い出せなかった。
でもある日、勇気を振り絞って言ったら
パパも若い頃、猫を飼いたいと
思ってたことがある。
だから飼おうと言ってくれた。
それを佐藤さんに伝えたら、佐藤さんが
『実は、あなたが最初にここに来た時から、
この子は、あなたにもらってもらえたら、
って思ってました。あなたが、
この子を見る目が、本当に優しかったから。
きっと、あなたに飼ってもらえることが
この子にとって、幸せだと思ったからです。
どうです?飼うと決まったんだったら
今日、この子を連れて帰ってあげたら。
この子を飼うのに必要なもので
ここにあるものは全部差し上げますよ。
何かわからないことあれば
何でも聞いてもらって大丈夫ですから。』
ただ、OKをもらったということを
伝えるために、あの日行ったんだけど。
それに、私以外にも、むぎちゃんを
飼いたいって人も、
他にたくさん居たみたいで、
私が手を上げたところで、
必ずしも、それが叶うと決まったわけでも
なかったから。
だから、まさか、あの日、むぎちゃんを
連れて帰るなんて思ってなかった。
でも良かったよ、その日から
むぎちゃんを迎えて」
僕にはママが言ってる内容はわからないけど
ママの優しい目を見て、嬉しくて言った。
「にゃーーーーー!」
(訳:ママ、パパ、お兄ちゃん、
これからもヨロシクね)
(終わり)
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