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小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』8/20(火) 【第40話 弦月に堕ちにて、茫洋と溶けゆく】

翌朝起きると、これまででは考えられない程、
頭がすっきりとし、自分の言葉を発する
ことへの葛藤はなくなっていた。
 
リビングに行くと洋子も直子も起きていた。
2人とも私の体調を気遣った。

私は2人に対し「昨日は眠れたので、
いつになく頭はすっきりしている。
大丈夫だよ」と言った。
それを聞いた洋子は安心し時計を見て言った。
 
洋子「あ、そろそろ、行かなきゃ。
直子ごめん、あと、お願いしていい? 
その言葉を残し、出かけていった。
 
朝食を食べ、直子と分担し家事をした後、
ソファに座り、何気なく動画を見ていたら、
偶然、流れてきたGrooveの動画も見た。

それを見てもあの日の事を思い出し、
心が落ち込むようなこともなく、
好きな音楽として捉えることができている。

翌週の火曜日、洋子も
付き添ってくれて病院に行った。

鬱病のことを洋子に伝えたことで
自分の中の得体の知れない後ろめたさが
なくなったような気がする。

そして、まだ自分の気持ちの伝え方と、
洋子の気持ちのはかりかたの
さじ加減を掴めたわけではなかったが、
自分の気持ちを伝えることと、
洋子の気持ちを聴くことを慌てず行うことで、何かを掴みかけた気がしてる。

徐々にだが、よくなっている気がしていた。
そんな状態が1ヶ月半続いた。



洋子と病院に行くようになり、自然と、
病院の受診日とサックスの練習日を
分けるようになった。
サックスの事は、まだ洋子には内緒だからだ。

ある週の火曜日、レンタルブースの予約は
午前の早い時間帯になった。
たっぷりと2時間、サックスを吹いた。

練習後、次回の予約をしていると、ふと、
カウンターにあるタウン誌が目に入った。
本当に興味本位だが、時間があるので、
以前、行った弦月催眠療法医院にでも
行くことにした。

3度目なので、勝手はわかっている。
ただ久しぶりだったからか、診療後の
ボーっとする感覚が、かなり強かった。
家に帰り、自分の部屋で横たわった。

ふと気づくと、洋子が心配そうに私の肩を
揺すっていた。最近日中に部屋で眠ることは
なかったため私の事が心配になり、
様子を見に来たようだ。

起こされても、まだ頭がボーっとしていた。
洋子は心配しながらも、この1か月で、
その時の私のペースに合わせる事が
重要だとわかっていたので、それ以上、
何かを聞いてくることはなかった。

翌朝起きると、洋子は、私の体調を気遣った。
一晩寝て、ボーっとした感覚は失せた。
それを伝えると洋子は安心し、仕事に
出かけていった。



今日は、病院も、練習もない日だ。
こんな日は、答えを出せていないイシューに
向き合うには絶好の日だと思った。
以前行ったカフェに午後から行こうと思った。

昼食後、出かけるためにコートを羽織り、
ポケットに手を入れると、何かが当たった。  
取り出すと弦月催眠療法医院の診察券だった。
昨日、コートのポケットに入れたままだった。
その診察券を自分の部屋の小棚の上に置いた。

カフェでコーヒーを注文して席についた。
そして手帳を出した。病院と練習の予定しか
書くことがないので、余白は、十分にある。
 
以前、思考を巡らせてたどり着いた、
洋子への「愛情」という概念、そして、
これから私が、洋子の何を大切にすべきか?   
ということを、書き留めてみることにした。
 
以前は、頭の中で概念的には辿り着いたが、
今後迷うことがあったら、立ち返るために
テキストに残そうと思った。

また、洋子と病気のことを共有したことが、
以前は前提にもなかったので、なおさらだ。
途中コーヒーのお替りをするぐらい
長い時間をカフェで過ごした。
 
そして、書きあがった手帳のページを見て、
1人、頷いた。とても長い時間をかけた割に、
答えはいたってシンプルだった。

「洋子が、笑顔でいる事を自分の生きがい、
目標にする。もし洋子の笑顔が消えてたら、
その理由を聞き、自分が洋子だったら?
と考え、一緒に困難を乗り越える。

そのためには、理由を聞いたら、
本音で答えてもらえる関係を築く必要がある。

そんな関係を築くには、
嘘はつかない、
見栄を張らない、
良いことも悪いことも受け止める」
 
いくつもの単語とそこから繋げられた線は、
全てこのフレーズに集約された“図”になった。
ふと時計を見ると、かなり時間が経っていた。
私は慌てて、コーヒーを飲み干し、店を出た。

既に、洋子の帰宅時間になっていたので、
心配をかけてはいけないと思いLINEをした。

「ごめん、ちょっと駅の方向まで来ていて。
帰るのに、もう少し時間かかるけど、
心配しないで。」とだけ打ち込んだ。
 
その時気づいたがスマホの充電を忘れて、
残りのバッテリーがわずかになっている。

できるだけ早く帰ろうと思い歩き出したが、
ホームセンターの前を通りかかったときに、
出がけに直子から、もし電球買えたら、
買ってきてほしいと頼まれたのを思い出し、
ホームセンターに立ち寄った。

サイズやワット数は聞いていたものの、
探すのに、意外と時間がかかった。
 
その頃、既に帰宅していた洋子は、
さっきから何度も時計を見ている。

今日は仕事の関係で早く出勤したが、
その代わりいつもより1時間早く帰宅した。
ただ、いつになっても隆が帰宅しないので、
心配していた。
 
この時間に帰宅していないことは、8か月前、
隆がケガをした日以外にはなかった。
 
心配になり洋子は何となく隆の部屋に入った。
別に何かを探そうとしたわけではないのだが、
小棚に置かれている黒いカードが目についた。
そこには、弦月催眠療法医院と書かれている。

「催眠?」訝しがってカードを見ると、
スタンプカードのようになっている。
「医院」と書いてあるがセラピーに
近いものだと思った
 
そのカードに3個スタンプが押されていた。
3個目の日付が、昨日であること、更には
2個目の日付が、隆の鬱病を知った翌日と
同じだと気づいた。と同時に、その両日とも
隆が具合が悪そうに部屋で眠っていたことを
思い出した。

ふと、そこに置いてある隆のiPadを借りて
この医院の名前を検索してみた。
表示されたページを見て洋子は呟いた

「・・・・だから、言ったじゃない。
焦っちゃダメだって」 

そのあとすぐ隆の携帯に電話をするのだが、
圏外か、電源が切れているのか、繋がらない。
 
洋子は、すぐに上着を羽織り、直子に言った。
「ごめん、ちょっとお父さん探してくるから。
直子、お父さん戻ってきたら電話ちょうだい」
そう言って、慌てて、外に出て行った。
 
それから20分後、隆は帰宅した。
もう洋子が帰っているだろうと
思っていたが、玄関に靴はない。

ただいま、と言いながら直子に尋ねると、
「お父さん探しに行くって言って、
出て行ったんだけど、会わなかった? 
ちょっと電話してみるわ」

そう言って電話するが繋がらなかった。
着信はしているが電話には出ないようだ。

隆は洋子に心配かけてしまったと思いながら、
とりあえず自分の部屋に移動した。
とその時、定位置にはないiPadに気づいた。
その横に、あの弦月催眠療法医院のカードが
開いた状態で置いてあった。

何か嫌な予感がしてiPadを開き検索履歴を
見ると、弦月催眠療法医院が検索されており、
その検索結果を見て愕然とした。と同時に、
洋子はここに向かったと確信した。
 
コートを再び羽織り、直子に言った
「ちょっと、母さん、連れ戻してくる」

直子の返事は聞かず、外に出て走った。
ふと空を見上げると、上弦の半月は
今にも落ちてきそうに見えた。
 
(第二章『弦月に堕ちにて、茫洋と溶けゆく』 終わり)


次回は8/22(木)は、第二章を振り返るコラムになります。小説は、第三章『満月に堕ちにて、寛裕に溶けゆく』は8/29(木) 41話「待ち合わせ」から再開予定

★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

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