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生きることは、借りた本を読み切ることに似ている…?

「人生は暇つぶしの連続」と思って、ちょっとふてくされていたのですが

「身体も人生も借り物」と気づいたら、

図書館という大きなアーカイブ的なものから、1冊を抜き出してきて、「今回はこのストーリーを生きてきまーす」と、この世に生まれてきたんだとしたら、すごく納得してしまいました。

図書館に通うことが好きな私(コロ前のこと)は、借りた本を積ん読して延滞する、しっかり読み込んで「ああ!面白かった!さあ、次読もう!」と期限内に返しに行く、予約した本を「思ってたんと違う」と借りても読まない、みたいなパターンで本と向き合ってました。

本屋で本と出会うのと、図書館で本と出会うのと、人を介して本と出会うのと、電子的に本と出会うのと、古書店で本と出会うのと、お店や旅先の本棚で本と出会うのと…

(思ってたよりパターンいろいろあったな。)

いろいろあるんだけど、開いた瞬間に「ひゃっほう!」って当たりの時と、「あ…違った」って時と、読み終わっても「もう一回読もう!」って時と、「表示と作家名にやられた…」って時と、とにかくいろいろあって、

人生も、借りて読んで返す、繰り返しなのかなと思ったら、ストーリーが人それぞれで、貸し出し期限が人それぞれで、何冊まで借りれるか、図書館の制限とかも、すごく似てるなあと思ってしまったら、今はその解釈にすごくハマってしまいました。

だとすると。

私のストーリー前半戦(0歳から43歳)がどんなお話しとして文章化できるのか。

ストーリーの後半戦から死ぬまでどんな構成で進めていきたいのか、ネバーエンディングな終わり方や、ハッピー/バッドエンディングにしたいのか。

途中に出てくる登場人物や、舞台になる街や暮らし、住まいはどんな風にしたいのか。

本を借りる時にパラパラとめくって、おおよその目処をつけて私は読み始める。最近は、あとがきや、解説や、ラストのオチを読んでから読み始める。

それは、私なりの自己防衛だと思って諦めている。波瀾万丈は小説やドラマで充分と思っていたけれど、小説やドラマや映画ですらオチを確認しないと、心を痛めたり、アップダウンの激しさに消耗したりする余裕が今は本当に無い。

以前は、空港があの世とこの世の模倣だと思って、出入国だったり離着陸だったり、送迎する/されることを、「いつかあの世に行く時に自分が、この世を去っても、出入り自由なんだ」と、いつかやってくる「死」という出国を感傷的にとらえていたんだけれど、

この3年は出入国自体に制限があって不自由になってしまって、気軽にそんなふうに思えなくなっていました。

たまたま私は「本」「図書館」という自分が身近で、親近感を感じる対象でとらえたけれど、スポーツや、登山とかが好きな人は、それになぞらえて人生を解くんでしょう。

なので、たまたま今のタイミングで、ふと腑に落ちた話し。として話半分で聞いて(読んで)くださいね。

腑に落ちた、というより、少し「死」や「人生」の道筋が見えた気がした、と言う方が明確かもしれません。

ただ、図書館と違うのは返却期限も人それぞれなのが、少し違うなとも思ってしまいました。残念。

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