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令和奈良歳時記: 山あいの玩具工場

クリスマス商戦を控えて、忙しさを増す集落が奈良盆地の片隅にある。

A村M地区ではこの時期、住民の約半数がモデルカーの車体塗装に従事する。その仕事の確かさで玩具業界には知らぬ者のない土地であるが、少子化による需要減から業者数は急激に減少している。そんな中、今では数少ない専業のTさんにお話をうかがった。
「我々の先祖は、平安時代のころから漆を扱っていたようですな。それからずっと色を塗る事で暮らしを立ててきたのです」
鎌倉期の文書に馬具や楽器の製造地として名前が見られるように、当地では長く漆製品を扱っていたが、昭和期に伸びた需要に応える形で今のような業態に転換した家が多いという。
歴史を誇るこの村も少子化の影響からは逃れ難く、以前なら年間を通じて見られたという、軒下に塗装済みボディーがずらりと並ぶ様子も、今やこの季節だけの物となってしまった。

しかし仕事の面白みは古今変わらぬようだ。
「思った通りの、薄くてじょうぶな、光沢のある塗膜が出来た時の面白さはちょっと他にありません」
「不思議なことなんですがね、名人の域に届くのはほとんどが女性なんです。この仕事は思い切りが大切なんですが、女性は度胸の良い人が多いのかもしれません」
Tさんの視線の先では同村出身の奥さんが黙々と作業を続ける。Tさんが道具を手入れをする手を休めるのは、我々の質問に答える時だけだ。

突然、作業場から悲鳴が聞こえた。Tさんが駆け出したが、すぐに安堵した表情で戻ってくる。
「今年から預かっている若い者が小さな失敗をして、慌ててしまったようです。経験を積めば多少のことには動じなくなるんですけどね」
ベテランと言えども、全ての小さなミスまで避ける事はできない。どのように修正をするのかも知恵と技術の見せ場なのだ。
「ミスへの対処は個々のケースでやるべき事が違いますからね。(本番よりも)修正の方が高度な面がありますよ」

毎年この季節だけは、山あいの静かな集落にコンプレッサーの音が響く。
Tさんは言う「きれいな車だなと、手にとったお子さんが思ってくれたら一番ですな」
我々が何気なく消費する玩具ひとつも、このような職人たちの作業が支えていることを、取材を通してあらためて確認した。

注: 上記内容はすべてフィクションです

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