覚書3
ホテルの部屋で書いている。
ふつうのことができる気がしなくなっているなあ。どうしたものか。とりあえず今日はあと十分な睡眠をとり、明日起きればいい。
恥ずかしくてかなわない。普通だと思っているから?昔よりはいくらか真面目に向き合っている気がするのだけれど。
それでも思い出すのはくだらないことばかり。ああすればよかったとか、自分の居場所がああだとか。
人と関わって嫌な人間になる。あんまり良くないけど一人でいても嫌な人間にはなりうる。
一つの考え方としては、人格を一枚岩に見ないこと。人格を見られるのではなく、その時々での行動を見られる。自分にとってどうなのかを。できれば毛嫌いされるとかは嫌だけれど、なったらなったでその中でどうやっていくかを模索する日々が始まるだけ。
最悪なことをあらかじめ予想しておけば、その通りにはならない、というジンクスのようなものを昔は信じていたっけ。それが今も、そしてこのような形でも有効なのだとしたら、最悪にはならないはずなんだけれど。
行き過ぎるとただの心配性になってしまいうるけれども、逆にそれはそのジンクスが正しく組み合わせられていないからと考えることもできる。心配はただの回避のためのおまじないで、おまじないは全然効くこともあれば効かないこともある。これでは何も意味が無い、いやだとしても、祈らないよりは祈ったほうが後悔がまだ少ない気がする。
よくわからないが、やっていきましょう。ちゃんと祈ってる。わかってもらえる人が出てくることとか。そのためにも、最低限誰かをちゃんとわかっていきたい。
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