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【1月の日記④】成人式コンプレックス

突然ですが、私、成人式に行ってないんですよ。

転勤族の家庭に育った関係で、オギャアと誕生した街を離れたのは小学2年の夏休み。そして18歳の頃から再び同じ街に住み始めたので、案内みたいなのは届いた気がするのですが、私にとっては、いわゆるその街が地元とは言えず、地元の友人と呼べる人もいません。

当時、通っていた短大も別の都道府県にあり、友達はみんな地元の成人式に出席しました。だから、私は「ひとりで成人式に行ってもつまんないだろう」と思い、行かなかった。また、成人式の後にあるであろう同窓会的なものにも行っていません。なぜなら、かつて住んでいた街に住む旧友から、私宛に声がかかることもなかったから。

数日後、短大や当時所属していた音楽サークルの友達から成人式で地元に帰った話を聞いたり、写真を見せてもらったりしました。でも、ここで「私は(成人式には)行ってない」って話してしまうと、なんだか場の空気を乱してしまうような気がして、自分のことは言ってないと記憶しています。言っても、言わなくても、蚊帳の外の人であることは間違いないと理解していたから。黙って、友達の話を聞いていました。

で、やっかいなことに、私は未だに成人の日が苦手です。若い頃にやり残したことでも、今からでもやり直せる・間に合うことはあるけど、今更できないからこそ苦手なのです。成人の日が。

きっかけは成人式だけじゃないけど、二十歳前後の私の心は、少し捩れていた気がします。

そんな私を支えくれたのが、トップ写真のエッセイ、光野桃さんの「妹たちへの贈り物」。シミがつき、かなり痛んでいるけど、何度、断捨離しても捨てられない大切な一冊です(カバーは破れてボロボロになってしまい、処分しました)。

本の中では、かつてファッション誌の編集者として働いていた光野さんが、ファッションだけではなく、恋愛、仕事、結婚について、ご自身の経験や、実際に10代~20代の頃に抱えていた悩みをさらけ出してくれています。私は、夢中になって読みました。そして、どんなに成功した大人の人でも、私と同じような悩みを抱えていたことに安堵し、いつの間にか、この本が大切な友達のような存在になりました。お守りみたいに、毎日カバンに入れていた時期もあった。

私は「妹たちへの贈り物」を読み、自分を肯定することの大切さを初めて知りました。そして、私なりに、毎日を楽しめるようになりました。躊躇なく着たい洋服を着れるようになり、ひとりでミニシアターへ行き映画を観たり、小説もたくさん読んで、新しいバイトも始めたりして。


自分には「ない」ものを追いかけても、手に入らないものはあるし、時間を巻き戻すことはできません。

私は、自分が転勤族の家庭に育ったことを「運命」として受け入れてます。もちろん、楽しいことだってたくさんありました。だからもう、人とは違う環境で育ち、出来上がってしまったアイデンティティで生きていくしかないです。ただ、当時と比べたら、今はずいぶんと視野が広がりました。だから、じっと成人の日が終わるのを待つのではなく、なるべく「自分を喜ばせるようなことをする日」になるよう努力をしています。

そうしてどうにかして乗り越えたい、成人式コンプレックス。

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