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東京オリンピック選手村ボランティア 感想 その5 "パラリンピックがあってのオリンピック"

前回、選手村でのボランティア=フイールドキャストの仕事の概略はお伝えしましたが、今、開催中のパラリンピックのボランティアもしたかったというのが正直な気持ちです。なぜかわからないのですが、7月7日、オリピックポンティア初日に強く感じ、私のような思いの方も他いらしたようで、その方はアプローチしたのですが、パラアクレテーションカードか発行できないので、パラは無理だけどオリンピックの日程を増やしたと言っていました。

遡ると、2018年12月にボランティア応募登録に際して、オリパラともに10日以上参加出来ることを条件に(これは、実際に活動日の連絡があるとその中で調整可能と後で、知りました 。)両方参加可能と申請したのですが、その時は、9月まで開催されるパラに関しては、こちらの講師という仕事と日程がかぶる可能性もあり、あまり積極的に捉えていなかったと思い、その思いが応募シートの記載にも現れていたのかな?と思います。

そして昨年の活動場所が決まった時も、パラから外れている事に少し、安堵していたのものの、今年の5月にユニフォームを受け取りに、神谷町の旧オオクラホテルに伺った際に、オリパラ両方の活動者には2種のアクレーデーションカードが発行、結構多くの方がオリパラ2種のカードをぶら下げているのが、オリンビックメインに受け止めていた自分には、意外で、

閉会式の前日が、こちちらのボランティア終了日となったとり挨拶した時に、そこにいらしたボランティアの多くの方が、そのままパラのシフトが入っている方が多く、その時は、本当に羨ましいぃ〜、嫉妬さえ覚えました。。。オリビックでの慣れてきた経験がこのまま生かされるのが、この後つづくパラリンピックだと確証した瞬間で、その場を去る身としては、とても寂しいものがありました。。。

選手村の様子は変わらないかもしれないけれど、器具の故障メンテナンスの施設が開設される以外は、目の前にする選手の方々は、何がしかの障害がある方が世界からここに集ってきている。以前、地元神楽坂で様々な目に障害がある方々への街案内に携わったことが、障害者に対する意識が変化した経緯があります。     

小さい時から全盲の方、視力が弱視の方、目の視野が狭く中心しか見えない方と目の障害と言っても人それぞで、ご自身の失われた機能を補うべく他の機能が発達しているのを目のあたりにして、障害ある方は、私たちが思っている以上その障害自分の物として受け止めて止め、健常者と同じような感受性、欲望があり、今のご自身の体で出来ることを当たり前として受け止めている。特にパラの選手の方々はアスリートなのでご自身の体を補う他の筋肉のつき方に目を見張るものがあルと思います。そんな選手の方々と接したかったという思いで、今、オリンビックよりもパラの競技を見入っています。

パラは、その障害の種類と重さが幅広く、そして年齢も幅広く、使えないことでなく、使える機能を最大限に活かす努力をしているアスリートの方々に健常者と変わらぬ意識で、彼ら、彼女へ不足している機能を補うべく接することで、パラのホランティアをする事で、この活動が完結すると感じています。

自分も今、かっての選手村にいるような感覚で、イメージシュミレーションしてボティア活動を思い出しています。

今活動している仲間に、オリビック時よりは日が短くなったものの、このところ湿気を含んだ猛暑は明らかに7月の暑さとは異なり、野外の身体大丈夫かな?と案じつつ、選手同様にエールを送りまます!!

競技も後半に入り、閉会式、そして、選手を送る離村まで無事におえられますこと!!

写真は、左からスケジュール表 、体調管理ノート(活動前後14日の体温他の体調のチェツクを記載)、右の手帳は大会と活動に関する様々な情報が記載されている手帳。実際に活動すると左のスケジュール表の出番が多かったと思います。その話は、又、次回に。。。                  


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