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#ふりかえる

Facebookには「思い出機能」というものがあって、過去における同じ日付の投稿をお知らせしてくれます。これって強制的に過去をふりかえる機能ともいえるのですが、ほぼ毎日表示される過去の投稿を見ていると、あんまりネガティブな発信はしない方が、精神安定上も良いのだなと思いました。一応、Facebookでは普段からネガティブ発信はしないようにしているつもりですが、思い出機能のおかげで、その当時の背景にあるモヤモヤを一緒に思い出してしまいます。

SNSにおける発信は、自分自身で作り上げた、ありたい姿を切り取ってるだけに過ぎないと自覚しています。日々の発信でセルフブランディングしているようなもんです。

ジョハリの窓
「ジョハリの窓」とは、"開放の窓""秘密の窓""盲点の窓""未知の窓"からなる、自己を俯瞰するためのフレームワーク。それぞれの窓に見え方の異なる自分の姿が当てはまります。
"開放の窓"......自他ともに認知している自分
"秘密の窓"......自分だけが認知している自分
"盲点の窓"......他者だけが認知している自分
"未知の窓"......自分も他者も認知していない自分
さまざまなフィードバックを受け続け、日々の行動の中で「何を発信すべきか」「自分のどんな行動を改めるべきか」といった思考を継続的に行い、そこからさらに新たな情報発信を行うという繰り返しによって、「情報発信者」には、徐々に自分の意見の一貫性が生まれます。
セルフブランディングは「自分はどういう人間か」「人からどう見られたいか」を徹底的に考え、それを一致させるには何をするべきかを探す一連の行為です。

ここ半年、思考を可視化するべくnoteに書き殴り続けてますが、まだまだ自分自身のことが理解できていません。ただ一つわかってきたのは、自己肯定感がどこまでも低い癖にかなり承認欲求が高いウザい人間やということです。

自己肯定感が低いとどうなるの
(1)自分に向けられる好意に戸惑う
(2)「自己肯定感」の低さを補うために「承認欲求」が強くなる
(3)依存・束縛

では、なぜこんなややこしい人間になってしまったのか、幼少期をふりかえると、なんとも言えないモヤモヤ感で心が一杯になります。

私は長女で3歳離れた弟がいます。弟が出来てからは、両親から「お姉ちゃん」って呼ばれるようになりました。「お姉ちゃん」て呼ばれると、暗にしっかりしろと言われているようで、「お姉ちゃん」やからできて当たり前という感じで、「お姉ちゃん」と呼ばれる度にモヤモヤした日々を過ごしていました。ちなみに弟は名前で呼ばれてました。私にも名前はあるんだけどなあという、モヤモヤした気持ちを抱えて過ごしていたことを鮮明に思い出しました。

そういえば、結婚してからも、いつからか、夫から「かあさん」と呼ばれるようになりました。多分、子ども達の前やからと思いますが、夫から「かあさん」と呼ばれる度に、一滴の墨汁を垂らしたようなモヤモヤが心の中に広がっていることに気が付きました。

家庭内に子供が生まれると
一番下の子供を基準にして
呼び方が変化していきます。

名前で呼ばれるって、些細なことやけど、とても大事で、名前で呼ばれるからこそ、一個人として認められるんやないかと思います。

「ふりかえる」をテーマにつらつら書き殴っていくうちに、なんとも言えないモヤモヤした幼少期を思い出し、なぜモヤモヤしていたのかを客観的に深掘りすることとなりました。

結局何が書きたかったのか良くわからんノートになってしまいましたが、こんな感じで日々色んなことを考えて、感じて、過ごしています。

日々の些細なことを記録し留めるためにnoteを活用しています。