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#生きる、はたらく、つくる【読書メモ】

野良猫なのに、しゃがみこんで手を差し出されると、ぐいぐいと頭をこすりつけて、そのうち撫でられるままにされているタイプの猫。
「絶対にやめない」
余った生地でほかの小物をつくるようにした。
生地を余らせない用途を考えることに、あたらしい服をデザインするのと同じくらいの熱量をかけた。
無駄になる部分をつくらないこと。
材料とできあがるものの関係
「せめて100年」
せめて100年のうちの30年は自分が全力を尽くして、その後を仲間に託す。
ぼくは駅伝もやっていたから、つなぐ、ということの意味や価値を体感的に知っていた。
タスキを渡すときは、へとへとで倒れこむように渡すのでは駄目なのだ。次のランナーが走りだし加速しようというところへ、全力で走りより、しっかりとタスキを渡して未来を託す。
自分の信念にもとづいたビジネスをしながら、それが社会的な価値を生むーそういう考え方と姿勢をベースに、これからも服づくりをつづけていきたいと考えている。
コストの数字ばかり見ていると、着る人の気持ちへの想像力が次第に痩せてゆくことになりかねない。
手を抜かず、しっかりつくることが自分たちのブランドを守る。
適切な批評が必要なのだ。どこがいいのか。どこがよくないのか。言葉にして伝えあう必要がある。「せめて100年つづく」と考えるブランドには、ブランドを守ってゆく目と、ブランドの伝統を更新してゆく目がほしい。
手足ばかりで、頭もこころも乏しい会社に、未来はないと思う。
背負う力
働く能力と年齢は、かならずしも比例するものではない。仕事の成果が出ていれば、その成果で評価されるべきだと考えている。
どこまで走れるかは、働くよろこびがあるかどうかだろう。
記憶の強さ、豊かさが、「よい記憶」をもたらすこともある。
暮らしのなかで「よい記憶をつくる」のがミナの遺伝子だとすれば、たとえば、ホテルや宿のような事業も生まれるかもしれない。
思い立ったことでも、最終的に「やろう」と決意がかたまらない限り、無理に始めることはないと思う。
完全にはコントロールができないなかで、手を動かしつづけること。ここから生まれるものが「つくること」なのだ。
自分にとって、働くこと、つくることの根幹にあるものは精神だな、とつくづく思うようになっている。
究極のクリエーションは、生き方を変える。それほどの力を持っているものだと思う。
どんな「よい記憶」にしたいかということだけを丁寧に考えていればいい。
つくるべきものがなんであっても、「よい記憶」となることさえ忘れなければ、おのずとやるべきことが見えてくる。

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