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私はその日人生に、椅子を失くした。 #ココセン

モッコーBグル部さん主催

ノートバトン『ココセン』

『ココセンとは、この本のココにセンを引いた(そして励まされた、救われたなどの)エピソード』


パステルを使った素敵なイラストをお描きになる、キジトラネコさんからバトンを受け取りました! 「励まされた、または救われたなどのエピソード」とのことですが、少し毛色は違うかもしれませんが、私が創作をするきっかけというか理由というか、そういうことについて書きたいと思います。以下、本文です。

私の最も好きな詩人、中原中也。好きな作品はたくさんあるのですが、「港市の秋」という詩が心に強く残っています。この詩はこう締めくくられます。

「私はその日人生に、椅子を失くした。」

この部分の解釈には諸説ありますが、私には中也の抱いた「居場所のなさ」という果てない不安が表現されているように思えてならないのです。

初めてこの詩に触れたのが23歳の頃、ちょうど具合が悪くて人生に絶望していて、ひどくこのフレーズに惹かれた記憶があります。私にもまた、居場所はなかったのです。

中也は若くして亡くなりました。そもそも生まれた時代が違うから、私と中也が出会うことはまずないのですが、それでもそのことがひどく悲しかったです。と同時に、「人生に椅子を失くした」同志のような感覚もあり、すっかり中也のファンとなりました。

詩の全集も手に入れ、どっぷりと中也の世界に浸っていたのですが、やがて時は流れ、いつの間にか中也が亡くなった年齢を追い越し、結婚をし、仕事も充実している自分がいました。

はて、あの頃感じていた絶望感とそれに付随する痛みは、どこへ行ってしまったんだろう。あの頃の感覚は、幻だったんだろうか。

……違いました。私は見つけたのです、「居場所」を。家庭という、仕事という、あるいは大切な人の隣という名の椅子を。

だから、私は今、人生に椅子を失くしてしまった多くの人に届くような、そんな詩や小説を書きたいと考えています。もちろん、各々が抱く孤独や絶望を侵襲するつもりは毛頭ありません。でも、「ああ、自分の椅子はここにあったんだ」と、大切な人や物の近くで気づいてもらえるような、きっかけの一つを創作できればと、心から願うのです。

それは、かつて自ら命を絶つことまで真剣に考えた、そして今「椅子」を見つけて不器用にも懸命に生きている私の、使命にも近い衝動なのかもしれません。きっとこれからも、心のままに創作を続けていくことでしょう。

◆以上、私のココセンでした。

■バトンを渡してくれた人→ キジトラネコさん

■次にバトンを渡した人→文月響さん

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