発達障害者にとって親との距離感

毎日、現場から200名の能力あり、尖っている障がい者のうまくいっている情報や、問題を抱えている情報がどさっと入ってきます。私はこの状態が普通なので、slackの通知がこない休日は少し寂しい気持ちになります。

さて、本日は「親子関係」について書いてみたいと思います。ちょうど数日前に当グループ内で、障がい者とその親の関係による問題が起き、それを解決するため色々考えたことがあり、私の幼少期のできことと比較しながら書いてみます。

私が生まれたときに住んでいた家は倉庫で、倉庫をなんとなく改装して家にしていました。雨の日はあまもり、夏はエアコンないので暑いし、お風呂とトイレがありません。家の前には小川が流れていて、そこで洗い物とかその他もろもろ処理していましたが、こんな生活に不満はありませんでした。

両親は少し変わっていて、「行動を未然に指示する人」でした。どういうことかというと、ご飯を食べようとして箸を持とうとしたら、「箸は右手で持つ」「先に汁を飲んでから、おかず食べてご飯を食べる、それを交互にする」と、行動する前にインプットが入ります。他にも、本を読もうとしたら「その本は読むな、本を読むならこの順番でこれから読め、本を開いた時は、ここを先に読んで、次にここを読め」といった感じです。お出かけした時は、他人の行動をみて「お前はあんな人間になるな」と言った感じです。

まとめると、行動を全て先回りし、体験させることなく「正しい」と思っている情報をインプットして、「失敗」しないような行動をさせる、ということです。あとは、たまたま私が近所のゴミを拾った姿を見ていた人が私の両親に「おたくのお子さん、ゴミ拾いしていましたよ。えらいですね」と言った時、今でも覚えていますが、「うちの子はそんなに偉くないです。バカ息子です」と言っていました。実はゴミを拾ったのではなく、瓶の栓が落ちていて、それが「当たり」かを確認するために拾いました。昔は栓に当たりとかハズレと書いてあって、当たりを5個集めると1本ただで飲める、というのがあったのです。

こんな生活を続けていて、私の中にどんどん防衛本能が大きくなっていきます。脳を支配されている状況と人として配慮されない状況が続いた訳ですが、親だけでなく年上の兄弟二人も同じように対応してきます。ついに14歳ごろになった時に、自分から親離れをして、自分の道を歩み始めることになります。これは、後に読んだ心理学本の課題の分離などの手法だったと思います。自分に置かれている情報に対し、何が課題なのかを明確にすると、その解決方法がわかってきます。

攻撃を受けたとしても、心まで支配されることはありません。心を支配させるかを決めるのは自分自身です。10代でなんとなくこんなことを考えていました。これは読んでいた本が自叙伝だったので、ちょっと大人っぽい考えを持ったのかもしれません。それ以降の生活は、全て自分が判断し行動してきたことで、失敗しても誰を恨むことなく、改善し前に進むことができています。

このような体験があったお陰で、200名の障がい者のさまざまな問題に対して、話を聞いただけで大体解決方法が浮かんできます。冒頭で書きました障がい者とその両親の問題も、両親の問題と障がい者本人の問題を分離することで、それぞれ別々の問題として解決していきます。親の問題を子供の問題のように取り扱う、逆に、子供の問題を親の問題として取り扱う、これにより複雑になり解決できなくなります。

学校の現場でもよく起きています。教師と生徒の関係で、教師側がこの課題の分離ができていないケースがよくあります。私の子供は、小学1年と小学3年生で、教師と生徒の関係性について色々考えることがあります。この辺りはまた別の機会に書きます。

今この瞬間から親子関係を改善することができると思っています。子供の人格を尊重し、親子の課題の分離をする、心理学って生活で活用できることがたくさん詰まっています。

本日は以上です。

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