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ぐらぐらと不安定で、ふつんとはち切れてしまいそうな心をぎりぎりのところでおさえこんでいる。まいにち、布団から出られなくてついに今日こそ会社に行けないのではないかと天井を眺めて、それでもぎりぎり間に合う時間におもたい体を起こして食べものをお腹に入れて、なんとか出勤して。でもそんなきもちでいるから、帰るころにはやっぱり朝よりもぼろぼろで、このまま目覚めなければいいのにと思いながら布団に入るまいにち。睡眠をとって回復しても少しずつ、少しずつ、借金が増えるようにダメになっていくのを感じている。

それでも不意に光が差す瞬間はある。
ここにあなたがいてよかったと伝えてくれるお客さん、いつもありがとうございますーってニコニコして帰っていく一つ下の女の子、誕生日に毎年わたされる本と手紙、がんばるね〜って言ったら顔を出してくれた喫茶店のマスター、酔っ払うとわたしはあんたが好きよ!と言ってくれるお姉さん、生きてるか?ってメッセージくれる兄さん、みんなのことばや行動が光になる時がある。そこには、たとえ目には見えなくても、形に残らなくても、たしかなものがあって、わたしはそれらに生かされている。そう思う時、あるドラマのセリフが頭に浮かぶ。

そんなに愛されて産んでもらって、こんな愛されて育ててもらって、何がご不満ですか?

これは、「ウチの娘は、彼氏ができない!!」のサリーちゃんが、主人公の空にかけた言葉。

少し前にあった友達が「あなたはいつもすきなひと、っていうね」と言っていた。好きなひと、その人たちがこんなふうに会いに来てくれたり、言葉を尽くしてくれたりする。こんなに愛してもらって(ちょっと大袈裟かもしれない、気にかけてもらってくらいにしておいた方がいいかもしれない)いるのに、わたしってば、なんでこんなにしょげているのかしら…。

サリーちゃんのこの言葉は厳しい。けれど、彼女はそれをめちゃくちゃ柔らかく、あたたかく声に乗せる。脳内のサリーちゃんに今日もこのセリフを言われながらお布団に入ります。
こんなに愛してもらっているのなら、わたしがもう少しわたしを大事にしないといけない。わたしを大事にできるところへ行かなきゃいけないと思っているよ。みんながくれる愛を、わたしひとりがぎりぎり生き延びるために消費するのではなくて、だれかに愛を与えることができる、わたしのすきなひとたちをもっとしあわせにするために使えるように。そのためにはちょっと勇気が要りそうだ。ちょっとずつちょっとずつ、向き合おうと思う。

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