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判断することと失敗すること

日常の暮らしや働き方に関して、何が正しい振る舞いなのか、誰も判断できなくなって、堂々巡りになっていることってないでしょうか。

有名人や権威ある誰かが言ったことや指示されたことをしていれば安心で安全だと思ってしまったり、成功した実例に基づいて同じことをすれば安全に自分も成功するとか、自分自身が後に悔やまないための比較対象を見つけては自分はまともだと思うとか、世間の評判ばかり気にして自分を守るために汲々としてイライラしてしまうことってないでしょうか。

ひとつ、たとえ話をしてみましょう。

オリンピックに出たことのあるほどの腕前のスキーヤーが、不整地で自由にスキーをしている様子を想像してみてください。競技ではなくて、ただ単に自然界の状況変化の制限を受けているだけという前提条件にしましょう。

コブのような雪の塊から飛び出したときでも、うまく着地してスピードを落とさずに滑っていくことができ、すごいなぁと思ったことはないですか。

「オリンピック選手ならそのくらい当たり前でしょう!」という批判の声が聞こえてきそうですが、本当にそうでしょうか。

ときには、勢いあまって前転しそのまま一回転して起き上がってそのまま何事もない様子でいられるときもありますし、滑って着地に失敗して尻餅をついて尻餅ついたまま滑ってでも立ち上がって滑り続けるときもありますし、着地でバランス崩して板がバラついてもまた普通の滑りに戻せることもありますし、数メートル先でバランスを崩して転倒することもあります。

こうして、ちょっと失敗してもリカバリー出来る能力が、一般人よりも遥かに高いことがエキスパートと言われる所以なんでしょうね。

でも、エキスパートでさえも、様々な状況でまさかの失敗をすることもあります。

着地点が柔らかい雪の窪みになっていると、そのまま埋まって動けなくなることもあります。

この、まさかの失敗の原因は、初めて出会うその日その瞬間のコブの形状と着地点の状況を滑る前から分かっていれば、避けられたのでしょうか?

この「分かっていれば避けられたはず」とか「過去の経験に基づいて現在の状況をしっかり把握してから行動するべきであった」という考え方が、世の中のいろいろな場面で足枷になっているように感じています。

自然相手であればなおさら、そのピンポイントの地点における、秒未満単位での変化予測をする、なんてことはほぼできないと思います。

秒未満単位とまでは言いませんが、一般社会も、日々刻々と変化しています…

だからこそ、ひとりひとりが自分のフィールドで、何かに失敗してもリカバリーしながら、スキルを上ていき、変化に対応する柔軟さを身につけ、自分がいつだって、自分のフィールドの、自分なりのエキスパートであり続けたいものです。