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ブレーメンでの「再会」

ドイツ北部の街、ブレーメンに、世界で初めて女性画家のために建てられた美術館があります。

その画家の名前は、Paula Modersohn-Becker
(パウラ モダーソン・ベッカー。以下PMBと略します。)

その美術館を、先週、友人と訪ねました。

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PMBの絵に出会ったのは、去年の9月、この友人と隣町の美術館を訪ねた時のことでした。

そこには、印象派の絵画に混じり、PMBの絵が何枚か展示されていて、
わたしはその色使い、絵から漂うなんとなくもの悲しい雰囲気に心を
動かされました。

それがきっかけで、ブレーメン行きを考えたのですが、昨年11月に計画した旅行は、コロナ状況が悪化し、ハードロックダウンが施行されたため、
諦めざるをえなくなりました。

なので、今回の旅は、ことのほか楽しみにしていたのです。


PMBは、第一子を出産後まもなく、わずか31歳で夭逝してしまいます。
1907年のことでした。

その短い人生を、PMBは、時代を先取りした進歩的な精神をもちながら
生きたのではないかと想像されます。

それは、ブレーメン近郊のWorpswede(ヴォルプスヴェーデ)という
村にあった芸術家コミュニティーへ移り住み、画家名に、ダブルネームを
使いながら活動をしていたところにもみうけられます。

既婚女性が、ダブルネームを名乗ることは、法律では認められていなかった時代に、PMBが女性の権利を意識し、象徴的にそれを画家名に使ったという精神にわたしは打たれるのです。

絵にも、女性、子どもが沢山描かれています。花や動物と一緒に。

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ある絵の前で、わたしは、しばし立ち止まってしまいました。

それは、日ごろ、重労働をこなしているだろうと思われる、
ガッチリした手に花をもってたたずむ女性を描いたものでした。
花に囲まれながら。

わたしの中に浮かんだことばは、『尊厳』。

PMBの人を見る目の優しさが伝わってきて、おもわず、涙が出そうに
なりました。

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花を散らした食卓にも魅かれました。きっと、深く自然と結びついていた方だったのでしょう。

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今回、PMBの絵を観ながら発見したことがあるのです。

それは、PMBの創り出す深い茶色や紫色がかった赤の色を、手に取って
味わってみたいというわたし自身の気持ちを見つけたことでした。

こっくりとした赤に、温かみや親しさを感じ、その雰囲気をずっと感じて
いたいわたしがいたのです。


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ブレーメンの街並もかわいらしく、心のタンクもしっかりと満たされた
2日間の旅でした。

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Reiko

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