生は死に、死は生にふれている。
今年前半は、6月半ばまで、
ホスピス研修を受けていました。
それからは、
色々とたまってしまった事をこなしたり、
山に会いに行ったりの日々を過ごしました。
そもそも研修は、
この国で「最期を迎える」の備えになれば
と考えて始めたので、
ホスピスボランティアが、
わたしに務まるかどうかには、
霧がかかっていました。
でも、さまざまなテーマにわたる
講義・ワークショップに参加して
いくうちに、
わたしの中に変化が
生まれてきたようです。
死の顔を見つめ、
生には限りがある事実に
向き合うにつれて、
なによりも、
この瞬間
命の尊さ
が、かけがえのないものに感じられ、
自分自身がいっそう
愛おしくなってきました。
わたしをもっともっと大切にしたい
と。
死は、命あるものには必ずやってくる。
死は、いつ来るかわからない。
だからこそ、
これを心に留めていくことで、
わたし自身が、生に、よりつよく
繋がれるようにもなりました。
時空を超えて変わることのない
この事実をつうじて、
見知らぬ人とも
繋がっていけるのではないかとも
思うようになり、
ボランティア活動にかかっていた霧も、
少しずつ晴れてきたようです。
そして、
もうひとつ見えてきたことがあります。
それは、どんな人の中にもある
その人が織り上げるタペストリーの
存在です。
その人の生き様が経糸となり、
数々の出会いや経験、体験が、
緯糸として織り込まれた
そんなタペストリー。
そこにどんな模様ができてくるかは、
織り手次第なのではとも思うのです。
人生で出会った人や体験は、
こうして、
その人の一部となり
残っていくのではないか。
美しい模様がうまれてくる、
そんな出会いもあるでしょう。
自分を支えてくれた出会いは、
決してなくなることはなく、
最後の旅支度として鞄につめて
持っていけるのではないか。
こんな絵が見えてくるように
なってからは、
多様な緯糸と交じりあいながら
粛々と生きていきたい
わたしのタペストリーを
織り上げる時まで
というしずかな気持ちが湧いてきて、
これをあたためていけたらと思っています。
◇
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Reiko
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