見出し画像

今日の強いマインドたち

人って案外怖くないのかもしれないーー。ーーーーー。。。ーーー。。

怖いの定義はそもそも 父親怖いあの目を見ているともうもう 自分の全てを否定されておるという 中学というか ものごごろついた時からの多分4歳とかその時くらいからの 強烈な支配されているという感覚をもう本当に早い段階からずっとそうゆう設定でやってきたからもうもう

もうもう今更そんなことしなくてよかったとか言われてももう無理だよとかって思っているしでも書き換えをするタイミングはいくらでもあったよねって言われると。。。。。。

絶対に良いか悪いかでしかなかったけれども、それは私の中に どちらかしかなくて、どっちでもいいし、どちらも別にあっていいと思っていなかったからだね。日本社会の雰囲気を良い悪いでまだまだ受け止めているっていう設定があるんだねっていうこと。
これは日本特有なのかな?。

全て全てもうもう もうもう

普通に楽しいのかも。スタバとかにいる人たちは男の人も普通に父よりかは攻撃してこない気がするし、うちの家が異常だったのか。

少し話すだけで変わる気がする。席があいてソファーに移動するときに
赤ちゃんのお母さんと偶然譲り合った。

:赤ちゃんは嫌いだけど無条件に優しくしないといけない設定
;とにかくとにかくいい人に見られないといけない設定
:可愛い女の子を演じないといけないという柔い弱い女の子を演じないと
何にもできないという子供を演じないといけないとか。
;スタバに来て楽しそうに働いている、一生懸命に仕事している大人もいてすんごく広がった。
:怖くないかも社会というか、大人も怖くないかも。
:自分の人生は誰にも潰されることはないっていう設定を作り直すということ。
;みんな普通に生きているし私と人間で生まれている時点で変わらないのかもしれない。

:::::設定の書き換えを行うということ::::::

本当にこれに尽きるのかもしれない。

ただこの世界でわたしにどれだけ戻れるのか

::この国 日本社会自体が ただ 年齢に囚われている っていうわたしの設定が強すぎていた。この初期設定がなんか強いねわたしね。

みんな大人は自分の正解をひたすら語りひけ散らかす。

それを女は受け入れて受け入れて ひたすら 頷きつづけないといけない

っていう設定が強くある。

今日 スタバで赤ちゃん連れていた お母さん 帰りぎわに
ちょこんってお辞儀してくれたのが嬉しかった。
なんか、ちゃんとしている人だった。久しぶりに自分がちゃんとした人にさわれたと思った。
::このマインドは、わたしは人に必ず影響を受けるし全部自分発生だと思えないということから来ているこの設定は嘘だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?