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傷ついていたあの頃の幼いわたしへ

インフルエンザになった
25年とか30年ぶりくらいか

昨年末に新型コロナに感染した時ほどの症状ではないけれど
40度近い発熱が2日間ずっと続いて
38度台が「下がった!」と思うほどだった
教科書通りの「発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛、全身倦怠感」漏れなし

熱が下がって逆に頭が冴えて眠れない夜
文章を書きたい欲求で書いている

明日(0時を回って今日だけど)はわたしの誕生日だ

産んでくれてありがとうを言う人はもういないけれど
幾つになっても誕生日はスペシャルだ
布団に入りイヤホンで
入眠用プレイリストを聴きながら天井を眺めていたら
わたしが生まれた日の父親を急に想った
父は第一子となるわたしの誕生をそれはそれは喜んでいた(はずだ)


父と一緒にいられたのは
11年と4か月
まあ
現人生の4分の1なのだから
短すぎるというわけでもないとは思う
父親の顔を知っているだけでもマシかも

わたしが年を取るにつれて父親の記憶はどんどん薄れる
だからなのか逆に
覚えているシーンだけは濃くなっている
創造も加わっているのかもしれないね

父親が他界してしばらく
わたしたちきょうだいは父に手紙を書いていたのだよね
「お父さんへ 天国はどんな感じ? こっちはね、今日学校で、」みたいな

まさか
天国に手紙が届くとは本気で思っていないんだよわたし
もう中学1年生だしサンタさんがいないことだって知っていたよね
手紙が届かないって知っていたし
父が天国にいると絶対的に信じていたわけでもないし

かと言って仕方なく幼い妹弟に合わせていたわけでもない
「お父さんに手紙書いたら?」という母親を気遣って書いたわけでもない
手紙を書いて父への気持ちを昇華させていたわけでもない
なんかね
どれも違うんだけれど
何か
天国の父に手紙を書くことが「正解」である気がしてた
正解だから
でも
喉に詰まったなにががずっと取れなくて
でも時間が経つと慣れちゃうみたいな変な感じ

天国の父へ書く手紙の動機のモヤモヤ感
それは一つの例に過ぎず

今になっても本当に言葉にできない何かをあの時抱えていた
一言で表すなら
ものすごく傷ついていたんだよね
不条理なんて言葉を持たない頭で
曖昧で不安定な年頃を
余計な荷物を請け負って

わたしは今でも時々おもう
「帰りたい」と
駄々を捏ねて
「帰りたい、帰りたい」と
泣いて泣いて
「帰りたい」と叫びたい

どこへ帰りたいのだろうかとおもう

どこへ
なのではない
いつへ
なのだ

いつもやり残したことの源は
あの頃にある
わたしの全ては
あの頃にある
あの頃に流行っていた歌を聴けば泣ける
あの頃を想うと悲しくて切なくて恋しい

誰かに言えばクサイだとかセンチメンタルだとか
どんな人にだってあったさそんなことと
軽くあしらわれてしまいそうで
こころの奥底の普段は見えないところにしまっておく気持ち
バリアが剥がれたのは
発熱とこの音楽のせいだと思いたい
今夜は涙が溢れてくる日

傷ついていたあの頃の
うんと幼かったわたしへ
あなたをたくさん抱きしめてあげる
今できることは
変えられない過去のあなたに
それでも大丈夫だと教えてあげること

ーーー

Bluetoothのイヤホンの電源が落ちてしまった
急な静寂がセンチメンタルな胸に刺さるみたい
深夜の手紙は朝読み返そうって言うけど
投稿してしまいます





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