見出し画像

*大きな括りで判断されること

cocon.です

人って大きな括りで人をカテゴライズする生き物だな、と思ったんです。

例えばよく言うのは
『今どきの若者は』
とかですかね。

他にも『男(女)って』『一人っ子って』『オジサン(オバサン)は』とかこうして書き上げると意味も無いような大きな括りでまとめられる。(書いてみると差別みたいにも想える)

でも、マナーが悪い若い人を見て『これだから今どきの若い人は』とか言うお年寄りが危ない道の渡り方をしてたりして『これだからお年寄りは』みたいになる時ってありますよね。

『若者』とか『お年寄り』とか大きな括りで悪く言いがちだけど、それを言えるほど相対する立場の人もちゃんとしてないというか。

もちろん『若者』『お年寄り』に限らず大きな括りでカテゴリーされた物ってもちろん若者全てがそうではないし、お年寄り全てがそうじゃない。

なのに括られてしまう。

本当は一個人で判断しないといけないのに。

でもそう言う大きな括りでの判断を人って無意識にしてしまう気がする。

だからこそ、一人一人がちゃんとしていかなきゃいけないような気がしたんですよね。

誰かの目を気にしてとかではなく、一人一人がその個人で判断される為にもそして大きな括りで判断する事が無意味だと思ってもらう為にも。

それは誰かの判断や誰かの目の為じゃなく自分の為になると思うんです。

私を私として見てもらうための行動として。

そうしているうちに自信がついたり、生きやすくなったり、人の目を気にしなくなったり。

大きな括りに埋もれない『自分』を作り出すことができる気がしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?