現在も活動(連載)中ではあるけど特にもう新しい発見もないだろうからと、🦁について総括しようと思ったのだけれど、書き始めた途端に我に帰るという事を何度か繰り返し、ならもう結論だけ書こうと思って。
対人コミュニケーションには興味ないのに自己実現には拘ってる人達がなんかやろうとすると普通の商売は出来ない(結局商売もコミュニケーションなので)からネットワークビジネスとかまとめブログとか転売くらいしかない。それでも人の為世の為と本人は嘯くが「役に立てて嬉しい」とか「喜んでもらって光栄」とかいう商売の基本が内在化していないのでセミナーかなんかで手に入れたマニュアルに沿って機械的に動いてるにすぎない。恋愛マニュアル然り。そういう意味で彼らに承認欲求はない。でもチヤホヤされたい。なので偉そうな態度をとって反感を買う。
そんなんで社会的責任に疎いから瞬間瞬間の自分の感情が最優先される。テンション上がって大言壮語した次の瞬間めんどくさくなって放棄する。でもそれだと周りに非難されるので何か別のミッションが発生した事にする。メタ認知というのが存在しないのか、その嘘が単に自分に言い聞かせてるだけの行為で皆からは見透かされており呆れられ周りに人がいなくなる結果になる。
そんな人が自己実現へのツールとしてマンガを描くとどうなるんだろうか。webマンガ講座を開き初心者にズレた講釈垂れながら自分は手を抜く。手は抜いたけど頑張った(?)ので褒めて欲しい。先生と生徒の立場が同時に存在する。
思い付きで新連載だと描き進めるも見切り発車どころでないテーマすら不明瞭な全体的に作り込みの甘い無計画な状態で描き始めいきなり初回で設定に不備や矛盾が生じて詰んでしまい描いたこと自体を無かったことにする。そもそも自分が何を描いてるのか意味がわかっていないと疑われる描写もある。
作り込みの甘さについても、自分以外の森羅万象への致命的な関心のなさが窺える。読者にどう写るかという視点もなければ「誰に何と言われようと私はこういうのが好きなのだ」というこだわりもない。
ここまで来れば何が楽しくてマンガを描いてるんだと思えてくる。ギリギリになって嫌々やっつける夏休みの宿題よろしく、無職ではない事を同居する親にアピールする既成事実としてでもない限り描く必要がないではないか……。
インプレッション互助会のようなものに所属し、お絵描き上達セミナーにも参加してる節は見受けられるが、マンガに擬態した何かを目の当たりにしても批判や指摘を本人にぶつけられないやるせなさばかりが募る。こういったストレスが粘着アンチとなって執拗な罵倒コメントとか挙句犯罪に及んだりするのだなと実感もする。本人は炎上マーケティングしてるつもりはないんだろうけど。
別にこんなのほっときゃいいだろという意見は尤もであるが、嘘だろうがエロだろうが暴力だろうが差別だろうがパクリだろうがコピペ反転マンガだろうがインプレさえ稼げば食えるというシステムと、いわゆるコミュ障が真っ当に働ける場がなくなってきている現状はセットになっていて、放置していい問題でもない気がする。🦁がこれに当てはまるのかは知りようがありませんが。
変な人への理解度が高まれば変な人に優しくなれる。イライラもしないし多少のこちらの不利益・被害も許容できる。そういうもんだしよりそうありたいと再認識した🦁ウォッチでした。乱文乱筆失礼しました。