"住"についての本

書評:「山小屋を造ろうヨ」 西丸震哉 中公文庫

関東大震災の直後に生まれたから"震哉"と名付けられた。
他の著書での幽霊やテレパシーの話題と、それらと共に、
「今の若者はナチスのガス室にいるのも同然であり、昭和34年(1959年)以降に生まれた世代は41歳までしか生きられない」
というトンデモナイ言説や、また、
「太り過ぎの果てに、まるでイソップ物語のカエルのようにパンクしてしまう」
といった独特な表現に着目してしまいがちだが、実は著者の本質はもっと違うところにある。

学生時代の山歩きをルーツとする「西丸震哉」の描く本当のイメージは、その建築空間のデザイン法を見るとわかりやすい。
サイズ別にいくつも住居の見取り図が載っているのだが、なんと最小0.5畳の小屋の設計図における唯一の家具(?)は排泄用のポリバケツだ!!

住居というのは、例えば先人の代から続く学術研究をおし進めたり、また子孫を未来へと育んだり、人生におけるある種の”成果”を出すための場所であるというのは多くの人が認めるところだ。
しかし実は大きな声で語られないことの中に、”手段”としての”すみか”あり、このリソースの支配率を上げると実はとんでもないことが起きるぞ、というのが本書の核心部分だ。
さらに端的にいうと、どこでも作れて壊してまた作れる、要は、
「持ち歩ける技術としての住居を身に付けることによって、この世のあらゆる現象に対する依存度をわずかだけでも下げることができる」
ということだ。

これを読んでいて思い出したのが、「妖怪は断じていない!」との立場からあらゆる科学的証拠を集めて妖怪不在論を唱えているうちに、奇しくも他の誰よりも妖怪に造詣が深い研究者となってしまった井上円了だ。
西丸震哉も、桁知らずの自由を追い求めて、山野を歩き行動範囲を拡大し続けた果てに気づいたのだ。
広い空間が身動きの自由を保証するのではなく、隅々まで自分の納得が及ぶ範囲を決めることによって、実は初めて自由を”数値化”し実感できるということに。


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