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映画『浜の朝日の嘘つきどもと』に見る いい感じの教師像


地方都市の映画館で観ました 
鄙びた映画館で映画を見る味わいにハマってしまった。

この映画素敵です。

映画館で見る映画は半分暗闇の残像現象らしい
そして
その「残像現象に救われるネクラ」がいる。
確かに。人生も半分は闇で、虚構かも。
ほとんどが自分の作り出したイメージの世界で生きているに違いない。

この映画 実在の福島の映画館の話で、
 
災害復興とかコロナ禍、家族問題とイジメ、子どもの自殺願望、外国人労働者、高齢化問題、がん死などなど…
今時のモチーフが無理やりではなく違和感なくちりばめられていて、
たくさん泣ける、しかしそれ以上に笑える。

ジメジメなんかしてない。
誰もが実は温かいと思える。
時には嘘もつける…
人が生きていくって、こういう葛藤が常にあって、
単純にいい悪いの話ではないというのがよくわかる。

正解などない。
現実を受容しつつ、ひとりひとりが、それぞれの価値観で突破口を見つけるしかないのだ。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

流れの激しい時代では、自分という軸に絶対的な価値をおく感覚が必要だ。
情報の洪水に常にさらされて、流されるともなく、流れていく。
意図をもって流れている場合は別として、取り返しのつかない結末が待っていることもままある。

そして、絶望しかけたところを映画に救われる。
そして生きる。笑って死ねる。そんな映画です。

なんといっても大久保佳代子扮する映画好きの茉莉子先生に惹き付けられる。

高校中退の茂木莉子(高畑充希)を支える役どころで、
閉館寸前の朝日座の建て直しを遺言として莉子に託す。
「自分がくじけそうになった時に支えてくれた映画館だから…」

この教師の生徒への支え方が、いい感じなのだ。スッキリしている。
映画が好きで、その時々の動く感情を大事にしている。
変に誰にも媚びない。莉子のせいで訴えられても、もちろん弁解しない。
自分の弱さも認めて、受け入れる。
茉莉子先生独特の教師としての軸がぶれてないので、決して流されない。

とにかくカッコいい。
破天荒 でも熱血ではない。自己犠牲的でもない。
アイメッセージがとにかく上手い。あくまで相手の軸を尊重する。
やがて生徒の軸も太くなる。

これはきっと彼女が数々の映画を見てきて培われたものだと思わせる。

こんな教師は実在するの?と思う人もいるかもしれないが、
豪放磊落、自分の好きなようにしているが、生徒に好かれるし、成果も出すというタイプの人を私は数多く見てきた。
管理職や一部の教師からは疎まれることもあるが、左遷されても、少々のことではへこたれない。
そもそも公務員なので、よほどのことがない限り免職にはならないので、自分の教育観に生徒や保護者が賛同してくれれば問題ない。
結果的には、自分に正直な方が楽しい教員生活を送れる。
別に校長に雇われているわけではないので、校長の教育方針に合わせる必要はないのだ。
最近はそういう、いい悪いは別にして、ポリシーのなる教員が減ってきた。ティーチングマシンという言葉があるが、自分もその一人だったので、えらそうなことは言えない。
が、目指すべき教師像は茉莉子先生のような人間的な魅力、素の自分を偽らない態度で、個々人に向き合い人生を慈しめる人。悲劇も喜劇に変換できる人。自分もそうなりたいと思う。

教師はかくあるべきなどと考えなくてもよし。
「教師は聖職」とか未だに言う管理職もなくはないが、それを体現している校長はみたことがない。
課題が多くなると、過去の幻想にすがりたいものだ。
でも、それより今ここの生徒と本音で、ぶつかることの方が、
よほど、成果が見込まれる。
関わる教員も達成感はあっても、疲弊した気持ちなどないはずだ。
未経験でも充分やれる、むしろ未経験のよさがいい。
多様性を認めるとは、そういうこと。
「ひとりでもいい映画好きの子をつくれた」と言う茉莉子先生を私は実にカッコいい教師だなぁと思う。
こんなやりがいのある教職に若い人はどんどん志願して欲しい。

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