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月10ドラマ恋マジ、勝手に登場人物の気持ちを考察してみた①


月10ドラマ、恋なんて本気でやってどうするの?通称恋マジ、4話まで見た。大変申し訳ないのだが、ドラマ好きとしてはどうも納得がいかない。胸キュンと言われて出したいシーンがポンポン出てくるので、視聴者が置いてきぼり感があるのだ。
そこで、自分なりに感情移入するために、登場人物のバックグラウンドを勝手に補完してみた。
筆者が好き勝手書いているので何のソースもないが、あえて言えば俳優の皆さんの演技がすばらしすぎるので、それらから感じとった脚本外の0幕の部分だと思う。趣味の域と思ってご容赦願いたい。

※なお、筆者は2021年末くらいに松村北斗さん経由でSixTONESの沼に落ちた、いわゆる「ド新規スト担」であることを書き添えておく。
だからこそ、北斗くんのドラマ楽しみにしてたんだよ…


まずは、純について。
一番説明されているので過去のことはわかる。母のことから、恋愛をしない!というだけじゃなくて、自分の足で立って歩いていこうという気持ちが強くてプライドが高く見えるのでは。部活も部長で、きっと勉強も頑張っていい大学へ行き、希望の会社に就職したのだろう。仕事もできるので、努力しない人や、仕事ができない人にはきっと理解ができないのだろう。だから後輩の横井さんもプレゼン中に泣かせてしまうし、それでも反省というより、わからん!という感情が先にくるのでは。このままでは出世の前に、中堅あたりで後輩の育成に苦労しそうだ…。人の気持ちがわからぬまま会社で過ごすと、俗にお局と呼ばれる、嫌煙されるキツめ40代女性あるあるになりそう。そりゃあ、母の交際相手からの誕生日プレゼント代わりの金一封なんて、受け取れないよね。

だからこそ、今の純には恋愛は必要なのでは。筆者は恋愛史上主義ではないが、恋愛を始めとする人付き合いには、相手が人間なので思い通りにいかないことも多い。勉強や仕事とは違うのだ。ましてや、仲の良い友人と築く人間関係とも違う。そうやって、人の心を慮る人生経験が積めるのではないか。セックス経験の有無で女として欠陥品かどうかを決めつけるこのドラマのセリフには賛同しかねるが、それでも努力で成功してきたがゆえに人にうまく甘えられない者なりの苦労がそこにはあって、「ヤった、ヤってない」だけじゃなくて、このあたりまで深掘りして純の成長ドラマになれば、もう少し共感も得られるのではないか。

そんな純が恋するのが柊磨。ドラマだとなーんで好きになったか、よくわからないので、勝手に考察。恐らく、前述の人物像のとおり、純は高嶺の花タイプで、これまでお声がかからなかったのではないか。さらに、自分から人を好きになる気もないので、人に見せる隙がない。もしかしたらいいと思ってる人も、自分には無理か、とか、興味無さそうだな、と諦めている人は多いのでは。そんな中で、自分に興味を持って誘ってくる柊磨に、ようやく初恋のようなトキメキを感じたのでは?
先輩のことは推しと言い聞かせて、距離をとってきた。それは、自分の恋愛しないという信条からだけではなく、憧れ=手に入らないかもしれない、という不確かなものを追いかけるほど、プライドをかなぐり捨てられなかったのだろう。もしかしたら先輩も純のことが好きだった時期(引退試合の抱きしめた時とか)もあったかもしれないが、純が全く好きな素振りを見せなかったら、諦めたんだろう。そうしてシンガポールで出会った彼女と勢いで授かり婚だったわけだ(父親に似てだらしない男、という先輩から柊磨へのセリフは特大ブーメランだと思うの、私だけ…?)。純はそこで悲しみに暮れて泣くけど、失って初めて好きだと気づいたならそれは本当の初恋にはまだ満たないのかもしれない。

だから、自分の気持ちに関係なく、興味を持って近寄ってきた柊磨が気になるのではないか。先輩の結婚式の二次会でズタボロになった後、思わずサリューに立ち寄ってしまったのは、自分のために特別なお皿を出してくれた柊磨の気遣いから、ここは自分を傷つける場所ではないと思ったから、が1つ。もう1つは、最初に料理に感動していることから、この場所がちゃんと「満たされる」ところだと知っているからだろう。これを恋愛体質の人なら、自分が柊磨に惹かれてるかも、と気づくのだろうが、純の場合は本人無自覚のまま、柊磨とサリューに導かれていた。そこで、サービスで出された甘いパンペルデュに癒されて、何気なく母のことを話し出す。(悲しい時はお酒より甘いもの〜の一連のセリフは最高だった。)純の気持ちは、ほどほどに馴染みのバーの店主に対して話す、といったところか。そこでいきなり店員が客を抱きしめる演出はさておき、「泣きな、たまには」の言葉には、凝り固まった心が溶けていく気持ちになったのでは。自分の信念により一人で強く立っていた純も、母には与えてもらえなかった素直な自分でいられる居場所のように感じたのかも。

そうしてほっとしていたのに、間違って柊磨に部屋に誘われて(これは柊磨がある意味ピュアな恋愛は初心者だったゆえの悪手な話はまた別途!)、そんなはずじゃない!って逃げ出すのだ。よく知らない相手にぼんやりと話を聞いてもらえたらよかったんだろうが、一個人として慰められてしまったらプライドの高さゆえにカッコ悪い自分をさらけ出しているようで、耐えられなかったのでは。でも、色々あってUターンして戻ってきた彼女の気持ちは、恐らく柊磨が期待しているほど甘いものではなくて、「泣けといったんだから、肩貸しなさいよ!」というやや自暴自棄な感じだったのではと、広瀬アリスさんの芝居の表現から感じとった。泣きじゃくったあと、自ら柊磨の腕から抜け出して帰った時、セリフはなかったが「あーすっきりした。ありがとう!」くらいのさっぱりしたものだったと思う。(詳しく文章に書きすぎると、ちょっと可愛げない子に見えるが、そこは大津とのシーンや部活の集合写真の様子、広瀬アリスさんのチャーミングさで、各々補ってほしい)

そこから徐々に柊磨に惹かれていく。心理学的なところはわからないが、一度彼女にとってのみっともないところ=泣きじゃくるところ、を見られた、相手というのは、ある意味気心知れてしまった相手であり、惹かれるのは必然と言えそうだ。(個人的な意見だが、人との距離は、一緒に経た時間の濃さに比例すると思ってて、長期間知る仲というのもあるが短期間でも深いところまで触れてしまったら、かなり濃いものであると思う)。対比として描かれる安心安全の大津とは、全く異なるようで、さらけ出してしまったものが多い怖いもんなしの関係、という点では共通しているのだろう。

話は逸れるが、柊磨を見る純→そんな純を見る大津→純と大津をみる柊磨、のシーンは、近づきすぎてしまって正直に話せない者たちのすれ違いの様がリアルだった。(頼むからドラマではこういうところを回収してくれ😂)
純の気持ち→柊磨なこと、大津は気付いてて、柊磨は気づいていないのね。

そんなわけで、大津にも、柊磨にも、自分の初めてを委ねる純。この時の気持ちは賛同しかねるが、友人からバージン卒業を急かされ、人生失格みたいな烙印を押されたらそりゃ焦るし気の毒だし、自分をさらけだせるこの2人にしか頼めなかったんじゃないかな。

なお、その前にサリューに下見に行った時の柊磨との会話の中で「恋愛には興味がない、いちいち一喜一憂してばかみたい」という純の恋愛観にさらっと柊磨が共感してくれたところは、純の中でひとつの転機だったんじゃないかと勝手に推察する。初めて聞ける柊磨の本音だし、これまでだいたい否定されてきた(であろう)自分の恋愛観を肯定してくれる、初めての人だってのでは。「みんな人に期 期待しすぎ」という柊磨の発言聞いて、人に依存し過ぎない恋愛ならありかもしれない、とちょっと思ったんじゃないかな。それが「お試しの恋」とか柊磨が表現するから、形ばかりの便利なセフレみたいなチャラい感じになったが、違う形の恋愛もあるよね、という点ではお互いの価値観はすでに一致していると思われる。

ここからは個人的な意見も交えると、その人に期待せずに自分の心が動いて相手を大事にするのが恋じゃなくて愛情だよ、って思う。2人がしたくないのは「恋」で、2人が心の奥底で求めているのは「愛」なんじゃないか。

その証拠に、2人は形からのデートで、ちゃんと心が満たされる。相手のことを思う気持ちが強いからこそ、幸せな時間なのだ。愛することの初心者の2人が、大事なものを失わないように大切にすることができるか、が今後の鍵になると思われる。

そこで問題は柊磨だ。純と違って自分の気持ちを一言も話さない柊磨は、本心がわからない。そんなんでちゃんと純を大事にできるのか?それは描かれるのか?次回に期待である。

柊磨の分析も書きたかったが、書き切る前に5話を迎えてしまうので、その話はまた後日。

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