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人脈ゼロ知識ゼロから札幌初の産後ケアホテル立ち上げを目指して進撃のWEEKに参加してみた【進撃のWEEK|DAY1】

はじめまして。
札幌で10か月の娘を育てながら産後ケアホテルを作るために活動している高橋奈美です。

今日から進撃のWEEKに5日間参加させていただき、
人脈ゼロ・知識ゼロから札幌初の産後ケアホテルを立ち上げるためのスキルを学び、アウトプットの場としてこちらのnoteに書き綴っていこうと思います。

本日DAY1のテーマ「理念形成フレームワーク」
ワークに沿って理念形成を進めていこうと思いますが…
理念だけでスタートした私。理念しかない。

そんな私がどんな結論に至るか。ちょっと私自身も楽しみです。
これで全く違う結論だったら、笑っちゃいますが(笑)
それはそれで、改めて世のママの為に必要とされることを模索していこうと思います。

では、ワークスタート!

まずは過去の経験から考えたこと・感じたことを振り返る

episode1. 部活と勉強を完璧に両立した中学生時代

私は中学生時代、吹奏楽部に所属していました。吹奏楽部では毎年8月に吹奏楽コンクールがあり、約1年をかけてそのコンクールに向けて練習をしていきます。

しかし、私の中学校は毎年地区大会銀賞。

目指すは全道大会出場だったので、まだまだ道のりは険しいものでした。(地区金賞をとった中の上位校のみが出場権を得ることができます)

1年生、2年生の時は惜しくも銀賞となり、ついに3年生。最後の年ということもあり気合いが違いました。

私は学生指揮者という役職で、主に全体の練習メニューを考えたりする立場でした。肺活量をつけるために、運動部並みに筋トレ・ランニングを取り入れたり、様々な改革を行っていきました。

全体の団結感も高まり、なんと結果は地区大会金賞。全道大会出場決定。そして全道大会でもまさかの金賞受賞。というところまで一気に成長を遂げました。

練習は毎日1日も休まず行われており、(今は部活動も毎日できないようになっていますが、当時は当然のようにありました)中学3年生ということもあり、周りは受験勉強も本格化していく。

部員も私以外の全員が塾に通っており、週に数回は部活を休んだり早退して塾に通っている姿を見ていました。

しかし、私は後輩のこともしっかり育てたい。その上で自分ももっとうまくなりたい。と練習時間がどうしても削れませんでした。

なので、私は塾には通わず、短い時間で最も効率的に勉強できるスキルを身につけ、定期テストでは常に学年5位以内をキープしました。

そんな経験から、私が感じたことは、
✓教えることがスキ!
後輩がどんどん成長していく姿を見ながら、自分が上手くなるよりも喜びを感じていました。

✓目標が明確にあればそこに向かってとことん努力できるタイプ
これは私という人間の根本にある部分だと思っています。後のエピソードにも出てきますが、目標が明確になった時の私って最強モードに入ります。

episode2. 人生最大の努力をした大学受験。そして初めての挫折を味わう。

私は進学校に進学し、地域でも「ガリ勉が通う学校」とレッテルを貼られている高校に行きました。(写真に写る子はダンス部の後輩なので珍しく茶髪です。笑 おそらく学年に一人ぐらいしか染めている子はいない学校です)

その噂通り?入学式で初めて自分の教室に入ってびっくり。
なんと全員が眼鏡をかけていたのです(笑)

私は裸眼で2.0の視力があるのでもちろん裸眼だったため、「あ。入る学校間違えた。」と入学式初日で思いました。

しかし、努力をできる人たちが集まっている高校。勉強の環境としてはとても良いものでした。
私は中でも負けず嫌いなので、誰よりも勉強して志望校に合格するぞ!と意気込んでいました。

学年で一番朝早く学校に行き、(6時の始発のバスで通ってました)夜は用務員のおじさんが鍵を閉めるまで勉強。

模試では同じ志望校を目指す中でも上位の成績でしたが、結果は不合格。初めての挫折を味わいました。

そんな経験から、私が感じたことは、
✓長期戦には計画的な息抜きも必要
先生にも心配されるぐらい勉強一筋だった私。
信頼している先生から「少し休みな」という助言を受け、そこから「周りに認められるぐらいこんだけ頑張ってきたんだ。今休んだって周りに追いつかれないだろう」と思い、机に向かいながらも集中できない日々が続き、そこから一度切れた集中は戻らず受験本番を迎えてしまいました。

今思えばもう頑張るエネルギーが残されてないぐらいに燃え尽きてしまっていたんだと思います。しっかりと計画的に息抜きをすることは長期戦においてはとても重要だということを学びました。

episode3. 海外留学・学生通訳として海外を飛び回った大学生時代。挫折から大きな自信を手に入れる。

私の親戚にアメリカで暮らしている人がおり、その人とその家族が頻繁にアメリカのお土産を送ってくれたり、時には私の運動会に遊びに来てくれたこともありました。

幼少期の頃からアメリカの文化には馴染みがあり、同時に憧れをもっていたのです。

なので、「いつかは海外留学に行きたい!」と思っていましたが、裕福な家庭ではなかったため、大学生になって自分でアルバイトで貯めたお金で海外行きを決意します。

私が行った大学では1年生の時に海外総合実習という授業があり、任意で参加することができます。

40万円程かかるのですが、それが1年生の9月。

初めてのアルバイトでたった4か月程で貯められる金額ではありませんでした。

しかし、どうしても行きたかった私。行先は憧れていたカナダ。
ただの語学留学ではなく、現地でインターンなども経験できるプログラムです。

教授に相談し、留学ローンを組み、なんとかお金を間に合わせて参加。

自分で稼いだお金でやっとの思いで行けたカナダは格別なものでした。毎日が刺激的で、1分も無駄にしないようにしよう。という気持ちで取り組めました。

しかし、翌月からローンの返済スタート。毎月5万円ずつ返済していました。当時私がアルバイトで稼げていたのは5万~6万程度。ほぼ全てのお金を返済に回さなければいけない。

勿論服は買えないし、美容室も行けない。お腹がすいてもコンビニでパンも買えない。

更に、次また教授から声をかけていただき、学生通訳として仕事としてシンガポールに参加しないか?という提案を受けました。

またこれ参加するにもお金がかかる。最初は渡航費・ホテル代すべて自己負担でした。(後にこれらがすべて無償で行けるようになります)

これにも絶対参加したい。
寝る時間を削ってアルバイトを増やして、毎日朝6時から10時までモスバーガーでアルバイト、授業を受けて15時から23時まで塾講師や家庭教師のアルバイトをしてなんとか間に合わせました。掛け持ちしていたので、合わせると最大95連勤ほどしていました(笑)

なんとかやりくりしながら、合計アジアを中心に学生時代に13か国行き、留学や商談会の通訳、インターンなど様々な経験を積みました。

そんな経験から、私が感じたことは、
✓「やれる方法をみつける」マインドを会得
やりたいけど、ちょっと難しいな。と思うこと、沢山あると思いますし、私も沢山ありました。

ですが、そんな時に折れずに「やれる方法をみつける」ことをやめませんでした。その結果、自分が挑戦したいこと全てに挑戦できたのだと思います。

✓やりたいことをやりきるには体力も必要
商談会の通訳に参加していた際、一緒に行ったメンバーが最初は14人ほどいたのですが、環境の変化やストレスなどから、どんどん体調を崩していき、最終的に残ったメンバーは私含め4人でした。

体力を切らさないために気力を切ってはいけないと感じました。気力を切らさないためには、ある程度図々しさや楽観的なマインドも必要で、細かいことを気にしすぎないことで、どんと構えて楽しめたように思えます。

episode5. 壮絶な産後ワンオペ育児。育児のしやすい社会の土台のなさに絶望

それなりに体力も気力もある方の私。育児も楽しみながらバリバリ社会復帰してキャリアウーマンになるんだ!

と思っていました。

しかし、現実は全く違う。妊娠初期から悪阻で一日中吐き続けて出すものなくと胆汁まで吐く。

後期になれば重たいお腹に広がっていく骨盤、一歩動く度に激痛が走り全く動けなくなる。

子どもが生まれたら毎日昼夜問わず子供のお世話で、まともに寝ることはできないし抱っこしすぎて腱鞘炎に。

でも、病院に行く暇もない。低月齢のうちは預けられる場所もない。旦那は自営業でほぼ毎日全国飛び回っているため完全ワンオペ。

率直に「え?これまでのお母さんこんな状況で子育てしてきたの?無理じゃない?どうやったの!?」

と思いました。

そりゃ産後鬱にもなります。現在10人に一人からコロナ禍で4人にまで増えている産後鬱。

1ヵ月健診を終えると途端になくなるサポート。こんな何もわからないまま野に放たれるの!?と感じました。

頑張りたいけど寝不足と気力不足で全く頑張れないところに、どんなに頑張ってても誰にも認められないモヤモヤ感。そして社会からの孤立感。

気力の湧く手段もない。自分が変わるしかないけど、変わるための体力も残ってない。そんな悪循環に陥っていました。

そんな時にYouTubeで知ったのが「産後ケアホテル」の存在。こんなところがあったら今すぐ泊まりたい…!と思うも、札幌にはない。

もし二人目ということを考えたときに、またこの気持ちを繰り返すのはいよい死んでしまうかもしれない。
そして、何より自分の娘が母親になる時が来た時に、こんな思いはさせたくない!

という気持ちから、「ないなら自分で作ろう!」と思い立ちました。

そんな経験から、私が感じたことは、
✓産後のママが一人で耐え忍ばない社会にしたい
普通ならできないことを、女性は我慢強いからなんとかやれちゃってるだけだと思うんです。

そしてできなかった人たちの声は届かずにいる。そんな人たちを周りの手があれば、新しいサービスがあれば、救えると考えています。


長くなりましたが、私の過去の経験の振り返りはこれにて終了です。
次に、

5つのワードで経営理念を作る

❶協力

私も含め、ワンオペ育児をしている人は約4人に1人というデータもあるぐらい、珍しいことではないです。そんな一人で頑張りすぎているママがゆっくり安心して休める場所を提供します。

❷革新

産後ケアホテルを一個人が始めようとすると資金面、制度面など様々な大きい壁があります。しかし、それらは常に「やれる方法をみつける」マインドで乗り越えていくことで、実現可能性を高めると考えます。

❸気遣い

頑張りすぎて自分を後回しにしてしまったり、頑張りすぎていることに気付けない人も多いです。私も大学受験期はそうでした。そんなママたちの肩の力をそっと抜いてあげる。そんなスタッフがママの味方で居てほしいと思います。

❹挑戦

北海道にはまだない「産後ケアホテル」。少子高齢化の中、市場の母体数が減っていくことは明らか。そんな市場に挑みます。壁も沢山あるでしょう。絶対無理だと非難されることも多いです。しかし、そこに負けない体力と気力をもって挑戦し続けます。

❺感謝される

1人でも多くのママの助けになりたい、疲れたときにいつでも戻ってこれる場所を作りたい。そんな思いでこのサービスの立ち上げを考えました。
ママによる、ママの為の産後ケアホテル。感謝される存在でありたいです。


大変長くなり、申し訳ありませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
ワークを通して会社の理念は私自身の過去にしっかり基づいて出来上がっていくことを実感しました。

明日も頑張ります。

@産後ケアホテルを作りたい
高橋奈美

Instagram @nami.no.insta








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