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自分を大事にできる、ごきげんな人を増やしたい。その2

「自分を大事にできる、ごきげんな人を増やしたい」
私がそう思ったワケを、過去を振り返りながら書いております。
今日はその続きです。
「その1」から読んでくださっている方、ありがとうございます!

他人軸で生きる章の幕開け。

自分の考えよりも他人の考えや意見を優先することは私のベースとしてありました。
「どんな人も根は善人」という思い込みや子供の頃の記憶から「嫌われたくない」意識が強かったこと、「誰かの役に立ちたい」という欲求が合わさって、新しい人間関係の中で他人軸思考は加速していきました。

その人のためになるなら。この人が良いと言うなら。
私にできることはないかな?って常に考えてた。
喜んでもらえることや頼られることが嬉しくて、呼ばれれば飛んでいったりして。
なんでもやってしまうから依存されることも増えて、ますます忙しい毎日。
苦手な人でも、気が進まない事でも、「これは成長のチャンスだ!乗り越えたら克服できる」みたいな変なポジティブが発動して奮い立たせてました。
「嫌だ」「できない」「やりたくない」って言えなかったし、言っちゃいけないことだと思ってました。
どこまでが「頑張る」でどこからが「無理」なのか、自分の限界もわからなくて、倒れて初めて「あ、私無理してたんだ」とわかる始末。
「休む」の意味もわからず、何もしてないとただただ罪悪感に苛まれて。

月の半分以上は頭痛に悩まされて、挙げ句の果てには鎮痛剤の飲み過ぎで「薬物乱用頭痛」と診断され頭痛外来に3年通いました。
同居していた義両親はとてもいい人たちで、本当の親子に間違われるほど良い関係でしたが、一緒に住むとなると小さなストレスが蓄積されて、同居8年目に私が何も言わず家出をしたことがありました。
頭痛はそれから劇的に良くなったので、ストレスが大きかったのだと思います。
この後から徐々に介護が始まり、ケアマネさんや病院、施設等々全ての手続きやお世話は全部やってきました。(5年前に義父を看取り、義母は今療養病院にいます。)

そんな日々を約10年。
義父が亡くなって義母が施設に入所し、コロナ禍に突入。
世界的に大変な時でしたが、私にとってのコロナ禍は他人軸から自分軸へ、わたし自身がごきげんな人になるきっかけとなった時期でした。

今日はここまでです。
お読みいただきありがとうございます!
続きはまた明日♪

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