幼少期

私はおしゃべりで明るい子供だったと父は言う。

大阪市内の下町に住んでいた幼少期。
言語の専門家の父の教育もあってか、同世代の子供たちよりも口達者で、好奇心旺盛な子供だったらしい。

小学校に上がると、正義感が強くなり次第にリーダーシップを取れるようになっていった。

自分の主張をハッキリする。そして勉強もできる方だったため、クラスでも目立つ存在になっていった。

両親は2人とも教育者なので、家では特集な育てられ方をしたように思う。
テレビは基本NHK。晩御飯の時の会話は親がニュースを分かりやすく説明してくれる事が多かったような気がする。
そのおかげで私の知識は安室ちゃんやSMAPではなくて、歴史や世界情勢に関する事で埋め尽くされていった。
大人であれば羨まれるような知識だが、子どもが小学校で同級生とする話しでは到底ないし、「キムタク」を知らない子はみんなが話している内容が理解できない。

当時流行っていたアニメや漫画、欲しいおもちゃなどは買い与えてもらえていたけど、自分が周りの子の話についていけない、もしくはその逆で同級生が私の話す事を理解してくれないし、興味もなさそうに思えたのは7歳くらいだっただろうか。

「みんなと同じ」じゃない事を自覚しだした頃に、日本の学校のコミュニティではそれが良いことではない事も理解し始めた。

「あの子は頭がいいから」
「あの子は家がお金持ちだから」

「あの子は変わってるから」

10歳くらいになった時には、自分が周りの子とは違う事を自覚していたけれども、私はただ友達が欲しかった。
一緒に遊んでくれる子がそばにいて欲しかった。
そのためにおもしろい事を言おうとしたり、とにかく仲良くしようとするけれども
自分の意見をハッキリ言いすぎ、クラスの学級委員に選ばれ、テストでどの科目でも100点近い点数を取る子どもは、私がいた公立小学校では歓迎されなかった。

それに加え、私は恵まれた容姿ではなかった。

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