鬱を人に見せないタイプ

鬱病、と言っても一括りにできなくて、様々なタイプが存在する。

引きこもりになってしまい社会生活ができない人、躁鬱でアップとダウンが激しい人、自傷する人、カウンセリングを受ける人、薬を飲んで生活する人、などなど。
私が今までに見たことがないタイプもきっとあるだろう。

私は16歳で日本を離れ、異国の地で33歳の今まで生活している。
鬱はあるものの、家族が身近にいない生活をずっと続けているのでかなり独立している。
20歳前後からその国に滞在するビザを切らしてはいけない、というプレッシャーがあった。
親類がいない国や街で暮らすと、家賃を払えなければ家がなくなってしまうから、きちんと仕事しないといけない。そんな状況から、鬱を持ちつつも立派に社会生活できるタイプになってしまった。

実はこれが結構危険なのだ。

社会に出てしっかり働き、生活費を稼ぐためには、鬱で長期間家から出れないという状況を作れない。
友達の誘いを断り続けたら怪しまれるかもしれない。
なので、どんなに鬱でも毎日仕事して、普通を装ってソーシャライズする。

別マガジンの記事の方で私はほぼ女優だったと書いたが、本当に多人格が出来上がった気がしていた。
仕事をしたり友達といる時のハッピーでフレンドリーな自分と、
家に一歩足を踏み入れて自分の空間に戻ると涙が止まらなくなる自分。

誰かに話したいし頼りたいけど、ついさっきまでゲラゲラ笑ってた友達にいきなり泣きながら電話しても驚かせるだけだろうと思い、躊躇する。
泣きながら寝て、朝になったら腫れた目を冷やしたり濃いアイライナーを引いて泣いたことがバレない顔を作り、また仕事に行く。

私はそれが得意になりすぎたため、周りの人は私がまさか家でそんな状態なんだとは思わなかっただろう。

長年それを続けたら、ある段階で心が壊れてしまった。

でもそんな中で、私が正常な状態ではなかったことに気付いて、手を差し伸べてくれた人が数人いる。
私からしたら「なんでわかったん⁈」と衝撃だったけど、彼らからしたら何かがおかしかったらしい。
ニュージーランドで生活していた時、私は鬱で凹んでる期間に季節問わず一人でビーチに行く癖があったのだが、
その時期はビーチに行きすぎていたようで、仲良かった友人はそれを見て気になっていたらしい。
泣き崩れた私にその友人はご飯を作ってくれた。

もしあの時、誰も助けてくれなかったら、私はどうなっていただろう。
誰も信用しないように心にバリアを張っていたのに、それを壊して入ってきてくれる人がいなかったら、私は今ここにいないかもしれない。


私のように、鬱をひた隠しにして仮面を被って生活している人は数えきれないくらい存在すると思う。
もしあなた自身に鬱の経験がなくても、身近な人が何か暗いな、何かおかしいな、と少しでも感じたら、声をかけてあげてほしい。
それでオープンに話してくれたり、目に見える形でその人を助けてあげられるかは分からないけれども、
誰かが気にかけてくれるという事は少しは伝わるはず。

保証はできないけど、もしかしたらその一言が誰かを救うかもしれない。
絶望の縁に立ってる人に、もう少し頑張って生きようかな、って思わせられるかもしれない。

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