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考える

最近、いろいろと考えることが多い。今までそんなに考えていなかったことも改めてじっくり考えてみたり、何だったんだろうと振り返ってみたりすることが増えた。考えるってどういうことなのかも考えてみた。もちろん結論は出ていないし、これだ!という決めの言葉のないが。

いちばん近い時に考えたのは、やっぱりサビちゃんの死だった。サビちゃんは私が自分で決めて、自分で家族にすることを決めた猫だった。それはとても単純なことで、そのままシンプルに家族になっていくと信じて疑わなかったが。それでも、事はそんなにスムーズには運ばなかった。

同じ屋根の下にずっと過ごしていても、サビちゃんは私の家族のようで家族ではなく、徹底的に馴染まないままこの世を去った。じゃあ、いったいサビちゃんって私にとって何だったんだろう?世間一般で見ればうちの飼い猫。だけど、サビちゃんにとってはそんなことはどうでも良くて、もしかして自由気ままに暮らしていたのに突然自由を奪われてしまい、ずっと窮屈なまま死を迎えた一生だったのかもしれない。

そんなふうに考えを巡らしていると、いったいサビちゃんにとって私って何だったんだろう?私にとってサビちゃんは何だったんだろう?という思いがこみ上げてくる。もちろん答えは出ないので、ずっと未消化なまま。何だか落ち着かない、ザワザワした思いが残るだけなのだ。

次に、仕事って私にとって何なんだろう?好きなことを仕事にしたはずだが、大嫌いなときもたくさんある。精神が消耗することもある。何でこんなことをやってるんだろう?と思う気持ちも時にはフツフツと浮かんでくる。こういうことを考え始めると、すべてのことがワケが解らなくなる。

ある人はこういう結論の出ないことを考えるのは時間の無駄。所詮、あなたは暇人なのよというかも知れない。でもいろいろと湧き上がってくる疑問や違和感をそのままにできるほど、私は完成されていない。答えが出なくて苦しくても、やっぱり考えてしまう。

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ご近所を歩いていた時、見つけたお花。名前は不明。でも何となくいいなと思って、撮ってしまった。アジサイの一種かな。こういう名も知らないお花に出会えるのが散歩のいいところかも。

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