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聞く耳もたず!現場の意見をそもそも聞くつもりはあったのか?


1年前の2020年12月23日に徹夜で書き上げた意見書です。職場の求めに応じて当日提出した「北山構想計画(最終案)への意見」を、長いですが、原文のまま公開します。この時、他の職員からも異口同音に「このままでは植物園が公園になる!」と意見が続出しました。

その後の経過を見る限り、現場の意見は無視されたと判断するしかありません。

いま知事は、植物園再整備有識者懇話会を立ち上げ計画を進めようとしています。植物園の整備というのであれば、最も現場を知り植物園に精通した職員を議論から外す理由はないはず。その意味においては優れた「有識者」である職員、それも管理職や係長といったいわゆるライン職ではなくスタッフ職を議論に参加させてください。
さらに公明正大な議論のためにも議論は秘密にせず公開してください。以上、知事に要望します。

【北山構想計画(最終案)への意見】
○エリアコンセプトがそもそも間違っている
〈概要〉エリアコンセプトにおいて、植物園の植栽エリアを漠然と「豊かな自然」、「憩いの緑」、「環境」と認識していることがそもそも根本的に間違っている。

植物園は半木神社の社叢林を除いて、もともとの自然林ではなく、今見られる一本一本の植物は木本類、草本類の別なく、すべて「生きた植物の博物館」のコレクションであり展示品である。この理解なしに植物園を論じては、植物園が公園であるかの誤解を招く。このことが、この整備基本計画(最終案)の最重要かつ最大の問題点である。

「生きた植物の博物館」のコレクション維持には365日、人による献身的な世話が必須であり、また開花結実や見頃に至るまでに長年の育成期間が必要である。一般の博物館と異なり、展示物が生きものである以上、管理に不備があればたちどころに失われる性質もあわせ持つ。

また屋内屋外を問わず全園の展示エリアは365日侵入する実生、外来生物の除去、剪定や除伐を継続し最適な展示を維持する必要があり、そのためには個々の植物の同定から栽培技術はもとより、情報発信、果ては美的センスまで求められ、きわめて特殊性の高い分野である。一見、自然に成立しているように見せていても、実は都市の真中に高度なテクニックによって人為的に成立させているもので、決して「豊かな自然」「憩いの緑」「環境」などと簡単に言ってしまえるたぐいのものではない。造園業者に委託してしまえる公園植栽とはまったく異なる次元のものである。ここの認識を改めずに、計画を進めることは植物園にとっては自殺行為に等しい。

○バッファゾーンの機能を理解していない

「生きた植物の博物館」は、それらコレクションの安定的な展示を可能にするバッファゾーンの存在なしには成立しない。風除け(特に冬場の北風、台風)、日除け(特に西日)、温度及び湿度の調整(市街地より-2℃)、また排気ガスや騒音その他のマイナス要因の軽減のため、周囲のまとまった樹林の存在が果たす役割は大きい。

植物園のバッファゾーンを単なる未利用地とみなす考え方は根本的に間違っている。

○バックヤード機能についての認識が欠落している
〈概要〉「将来像を実現するための施設整備内容」の①に、植物標本庫、展示室等の整備とあるが、ここには「生きた植物の博物館」にとっての収蔵庫にあたるバックヤードの整備が抜け落ちている。

また〈概要)裏面における植物園の「再整備諸室」のなかで、バックヤードはあくまで観覧温室建替/改修のなかで位置付けられるにとどまり、温室以外のバックヤードの位置付けが明確でない。温室以外のバックヤードの保全を明記せぬまま、整備基本計画(最終案)p.14の整備イメージの線で整備が進めば、既存のバックヤードが大きく毀損されることは十分にあり得ることであり、そのことは植物園にとって危機的な状況であるといわざるを得ない。全園のバックヤードの保全を明確に打ち出す必要がある。最低でも、バックヤードは「想定諸室」の中の「管理機能」ととらえ直し、事務室、会議室、倉庫と同列に取り扱われるべきである。

「生きた植物の博物館」は、博物館である以上、コレクションの規模と質に依存し、展示は、その膨大なコレクションから鑑賞期とテーマに即したものを順次出し入れを繰り返す必要がある。また展示中の盗難や枯損に備えてバックアップを一定数保持しておかなければならない。このような膨大なコレクションを収蔵する場所はバックヤードであり、必然的にバックヤードこそ植物園の中核部分であるといえる。このことは一般的にはあまり知られていないが、展示スペースの10倍のバックヤードの面積が必要といわれる所以である。バックヤードが充実することで展示が充実することはあっても、その逆はない。

最終案を見る限り、バックヤードの存続は危機的であり極めて憂慮すべき事である。認識をあらためずに根本的に植物園の存続はあり得ない。

○「植物目録」の内容が明確な指標であり、このままでは整備にともないコレクションの毀損の可能性が高い

植物園を入園者数等で評価する発想に立つ限り、必然的にイベントやアミューズメントに走らざるを得ない。毎年取りまとめられる事業報告書にしても、あくまで展示会やイベントといった表だって目に見える形で行われる事業を取り扱っているに過ぎない。これに対し「生きた植物の博物館」を評価する方法として最も適切かつ客観的な指標は「植物目録」であることを十分に認識する必要がある。十年に一度取りまとめられる植物目録の収蔵品の量と質の推移を毎回比較することで、コレクションの充実度あるいは衰退度は誰にとっても一目瞭然となる。

次回の植物目録の取りまとめはR6年(2024年)に予定されており、整備基本計画の「整備スケジュール」によれば植物園においてすでに解体工事を終え、まさに建設工事の最盛期にあたる。工事期間にコレクションが大きく毀損されれば、「植物目録」に明確に表れ、これに対して言い逃れはできない。

さらに10年後、R16年(2035年)に仮に内容の濃い植物目録を出せなければ、再整備によって植物園のコレクションが毀損されたことが明白になる。

後世「京都府立植物園は百周年の再整備で駄目になった」「百周年で植物園は公園になった。今となっては植物園の名残は観覧温室だけだ」と言われることがないよう植物コレクションの毀損は可能な限り最低限にとどめなければならないことは明らかである。

さらに現存する植物コレクションの極めて多くは、来歴が明確な希少性の高い個体であり、長年にわたり多くの関係者の努力で蓄積されてきたことを考えあわせれば、仮にひとたび失われてしまえば、購入等により補てんできる性格のものではないことを、まずもって理解しておく必要がある。

○絶滅危惧種の保全に不安がある

園内への人のアクセスを向上することは、害獣のアクセスを可能にすることと表裏一体である。植物園にとって最大の害獣はニホンシカであることをますば指摘しておく。

京都府はもとより、日本全国の山地においてここ数十年で鹿の個体数が制御できないまでに増え、その食害により林床にはほとんど下層植生が見あたらない状況が大きな問題になっている。このことは日本の植物のほぼ半数を絶滅危惧種に追いやる一つの大きな要因となっており、植物の研究者らはのきなみ警鐘を鳴らし危機感をあらわにしている。

事実、植物園が毎年海外の植物園に提供する種子交換事業においても、野生植物の種子採取は困難を極め、例えば豊かな自然植生で知られる京都大学芦生研究林でさえ、近年は防鹿柵設置エリア外では鹿の忌避植物以外の採取は望めない。

一方、市街地の真中に立地する植物園は比較的獣害から守られており、京都府の絶滅危惧種の一時的な避難場所、すなわち域外保全に適した条件がある。それでも加茂川に出没する鹿が園内への侵入をうかがう兆候はこれまでにも度々みられた。ひとたび夜間に鹿の侵入を許せば、貴重な植物は壊滅的な食害を受けることは明白であり、植物園の周囲には鹿が飛び越えられない高さと形状の柵が必須である。

維管束植物の約半数が絶滅危惧種である現状において、絶滅危惧種の保全、とりわけ京都府の絶滅危惧種の少なからぬ部分を植物生態園が担っている実情を理解する必要がある。仮に絶滅危惧種温室、危惧種園といった「危惧種」に特化した限られた施設のみで京都府の絶滅危惧種の保全という使命を果たせると考えるなら、それは間違いである。

○盗難の多発が懸念される
これまでも展示植物の盗難はたびたび繰り返されてきた。ほとんどの来園者はマナーが良く、極めてごく少数の不心得者によるものであるが、仮にそうではあってもひとたび展示品が盗難にあうと、展示に出せるものは自ずと限定されてくる。今のように植物と来園者の距離が近い展示を可能にするのは、ひとえに来園者一人ひとりのマナーと、万が一の盗難に備えた予備個体の準備などのバックアップ体制によるものである。

植物園へのアクセスが良くなることは大筋としては望ましいことであるが、反面、不心得者による盗難が確実に増加することが予想され、その対策を怠ればたちまち展示の質の低下は免れず、時を経ずして園内は中高木以外は公園並みの植栽にまで質の低下を招くことは想像に難くない。アクセスを良くするのであれば人目につきにくいエリアを夕方から朝まで高い柵でエリアごとに封鎖するなど、徹底的な盗難防止措置を平行的に実施するべきであろう。

さらに商業施設の前の道に面したオープンスペースに花壇を計画しているようであるが、ここについても花苗の盗難は頻発することが予想される。

○マーケットリサーチに疑問がある

現存する商業施設’IN THE GREEN’が計画された際、当初、北山通に面して3件の商業施設がはりつく予定であった。しかし応募は1店舗のみという経過であったことは記憶に新しい。

その後、特に景気回復がみられたわけでなく、むしろコロナ禍の影響により小売店や飲食店が軒並み苦境に陥っているのが現実である。この間、新しい生活スタイルはかなり定着しつつあり、実店舗よりも宅配ビジネスに重点が移りつつある時代状況が見てとれる。

そのようななか北山通はもとより、加茂川に面して仮に小規模な商業施設をはりつけたとして採算ラインにのることは考えにくい。テナント料をあてにしても、赤字経営が続けば撤退してテナント料は入らない。植物園会館に入っていたレストランは撤退した。北山通より北側の加茂川沿いに駐車場をともなうカフェ等かなりの数営業しているが、決して活況を呈している状況とはいえない。まして「なからぎの道」は駐車場もなく駅からも距離があり、立地条件が悪い。再考を促したい。

○植物園としての主体的な展望が不明である

植物園の再整備であるはずなのに、植物園がどのように良くなるのかまったく展望が見えない。植物園に主体的な姿勢がみられない。

このままの計画案が最終案として世に知らられば一般に大きな反発が巻き起こることが予想される。とりわけ世代を超えて植物園とともに暮らしてこられた下鴨の住民を中心に、左京区、北区住民にとって、この計画案はおそらく衝撃的な内容であり、「植物園の職員はなぜ反対しなかったのか?」「これによって植物園はどういう風に良くなるのか?」と個々の職員が問い詰められることは十分に考えられる。そのような場合に「私は何もわからないので本庁に聞いてください」としか答えられないのでは、あまりに情けない。

植物園が主体的に説明できる計画案でなければならない。植物園はそうする責務がある。

○三役は植物園の主体的な展望を

植物園が何をめざすのか、そのためにどのような発信をするのか、示してほしい。

まずは上記に指摘した点すべて、また他の職員の意見すべてについても、いちいち三役がどういう考えをもち、今後どういう折衝に臨むつもりか聞かせてもらいたい。職員からの意見を聞きっぱなしにせず、可能な限りフィードバックをすべきである。疑心暗鬼ばかりつのり、植物園が一丸となれなければ、それが原因で植物園そのものが消え去ると思う。植物園は一人ひとりの職員が日々支えているものであり、やる気が失せた途端に崩壊する。信頼に基づくやりとりであれば、職員からも批判ばかりではなく、知恵を持ち寄ることが可能であろう。これまで100年間植物園を存続させてきたのも、ひとえにそのような職員による努力と、多くの人々により植物園が支えられてきた事実にある。なにとぞ、よろしくお願いします。