見出し画像

文学フリマひとり大反省会~その4.歌集が「売れた」背景

もう一気に更新しちゃいます。今回のテーマは歌集が売れるようになった「背景」について私見を交えた記事です! 反省会も「シリーズ化」してほんとすいません。


書肆侃侃房と「シリーズ化」


急速に短歌というジャンルが認知され始めたこと、その一番大きな功績は、やはり書肆侃侃房さんじゃないかなと思います。

先日、加藤治郎さんのパーティーで、書肆侃侃房の田島安江さんとたまたまご一緒になり、いろいろお話をうかがってびっくりしました。

実はぼくが自分の歌集を去年の文学フリマで手売りした際、開始早々、ご年配の方がお見えになり「この本とエッセイもらおうかな…」とお買い上げいただいたのです。その時は、「文学に興味のあるおばあちゃんって珍しいなあ」と思いましたが、パーティーでその方が田島さんご本人だったことが判明しました!

(出版記念エッセイは書肆侃侃房さんを相当参考に、というか意識して書いたので、それを知ってかなり青ざめましたが…)。

以前「月に吠える」というWEBマガジンに掲載されたインタビューを見つけて、田島さんの経歴を拝読し「ああ、やっぱりすごく優秀で苦労されてこられた方だな」と感銘を受けました。

【記事の全文はこちらにリンクしておきます】

【前編】書肆侃侃房・田島安江さんが語る半生・文学・短歌・地方出版社すなわち多くのこと

【後編】書肆侃侃房・田島安江さんが語る半生・文学・短歌・地方出版社すなわち多くのこと

そのなかにこういう一節があります。「新鋭短歌シリーズ」をはじめて作ったときのことです。


笹井さんは生前ずっと「読みたい本リスト」をつくっていたそうです。中でも歌集は高価なものが多く、少しずつ集めては読み、集めては読みしていたようでした。それでもっと安くて、しかも読みやすい軽装版をと、ぎりぎりの1700円に設定しました。

印刷会社の人とも「一度に数冊作った方が少しは安くなるものなのか?」などと相談して、一度に3人が1冊ずつシリーズで出すことが決まりました。

シリーズ化したのは、書店に置いてもらうことを目的にしたためでもあります。歌集は1人で作って出版しても、書店ではなかなか置いてもらえない傾向があるのですが、シリーズだったり10冊近くあったりすると、注目が集まって置いてもらいやすくなるのではないか? という予測がありました。

シリーズ化することでオリジナリティーが薄れることを危惧する方もいるかもしれませんが、ものごとはある程度の枠があった方が考えやすく、その中でできることを模索してみることにしました。

【後編】書肆侃侃房・田島安江さんが語る半生・文学・短歌・地方出版社すなわち多くのこと
|「月に吠える通信」2018.12.7

自分のエッセイの中では、「著者にも印税が入るようにした」のは、加藤治郎さんだと書いた記憶があります。「短歌ヴァーサス」が全盛のころ、オンデマンドで刊行されていた「歌葉」※のシステムをそのまま「新鋭短歌シリーズ」に移植したと加藤治郎さんご本人はおっしゃっていました。


すいません、以下は、完全に脱線的な注です。必要ない方は読み飛ばして下さい。

※「歌葉」という、笹井宏之さんや斉藤斎藤さん、永井祐さん松木秀さん飯田有子さん盛田志保子さんなどなど、とにかく一覧をみたら全部買いたくなるような錚々たるメンバーが名を連ねていたレーベルがあって、ぼくはそれを買いまくってました。今もかなりうちにあります…。

同じ書肆侃侃房さんの「現代短歌クラシックス」などで復刊もされてますが、「現代短歌クラシックス」で歌葉のレーベルに入っていた本は、この2冊だけ。

1.飯田有子さんの「林檎貫通式」

2.盛田志保子さんの「木曜日」

正岡豊さんの『四月の魚』は「歌葉」のレーベルではなかったけど、風媒社刊行の「短歌ヴァーサス」の誌上歌集として掲載された経緯がありました。

(初版のまろうど社版(1990年)は、ぼくも書影さえ見たことがありません。)(ちなみにもう一冊の誌上歌集は、早坂類さんの『風の吹く日にベランダにいる』でした。)

「歌葉」のレーベルや「短歌ヴァーサス」の誌上歌集として出た2冊の歌集には別記事がいるなあ…。と思ったら、花笠海月さんのまとめnoteがありました。

現状は花笠さんのこのnoteが一番まとまっているかな、と思います。
仕方のないことですが、紹介したい本は一部再販されたものを除いて、ほぼ入手困難ですね…。

ちなみに、盛田志保子さんには晶文社から刊行された「五月金曜日」という随想集があり、歌集には表現されてない盛田さんの輝きが凝縮された名著となっております。

ぼくは盛田志保子さんという歌人が自分と同い年だという事実に、あまりにも衝撃をうけて、「学生時代ぼくは文学の何を勉強してたんだろう」と、29歳で短歌をはじめたのでした…。(以上完全な脱線でした。)



しかし、このインタビューを見る限り、実際に「売る方法を考えた」のはあきらかに田島さんだろうな、と思います。そもそも既存の短歌出版社には、「歌集をシリーズ化する」なんて発想はまったくなかった。それを最初に思いついたのがさりげなく革新的だったのです。

田島さんははっきり、「書店に置いてもらうことを目的」にシリーズ化したとおっしゃってます。これはすごい冷静な分析の上にたったアイデアだな、と思いました。

当時、「短歌の本は売れない」と書店側に思われていた現状を冷静に受け止め、まずは「短歌というジャンル」ごとまとめて認知してもらう方法としての「シリーズ化」。

〇〇さんが登場したら、「〇〇さんという歌人を売りだす」のが今までのやり方でしたし、実際に商業ベースに乗った歌人は、自分であれこれ工夫してプロデュースして、「短歌出版社」以外の出版社から本を出したり、「売れる努力」を自分でするしかない状況だったと思います。

そういう「その気のある」一部の歌人の努力でしか、商業ベースに乗る道は切り開けなかったのです。つまり一部の歌人以外は「短歌というジャンル」でくくられて「売れない」と思われていたような…。さらに歌人自身もそう思っていて、じゃかじゃか謹呈をしていました…。

「シリーズ化」って言う方法、一見するとなんでもないことのように見えますが、それを最初に考えたことがすごいと思いました。短歌というジャンルにぴったり当てはまったと思います。

もうひとつ、歌人が注目されるのって、だいたい「第一歌集」なのも短歌の特性をよくわかってらっしゃると思います。話題になったことで、「短歌そのもの」の認知度向上に大きな貢献をされました。

ちょっと大きな書店に、どーんと書肆侃侃房さんの「新鋭短歌シリーズ」がわかるように置いてあったら、インパクトも全然違いますしね。

書肆侃侃房さんの「新鋭短歌シリーズ」が登場したことで、「短歌も売れる」ことに気づいたナナロク社さんや左右社さんといった出版社さんが次々と「短歌」というジャンルに参入し、「新鋭短歌シリーズ」でデビューした木下龍也さんをはじめ、多くの歌人が流行作家となって今の短歌ブームが盛り上がってきました。

本来なら、もう5年くらい早くぼくも歌集を出版して、ブームに乗りたかったんだけどなあ…。

(まあ、そもそもぼくには無理か…。いいや、適当な文章なので、また読みづらいですが脱線させてください。脱線部分は区切り線で少し読みやすくします)


ぼく、いつも加藤治郎さんに少しだけアピールしてたんですが、まったく気づかれなかったようです。もともと「気づいてもらうように」アピールするのは苦手ですけど…。

全然推薦されないまま「新鋭短歌シリーズ」には、彗星集から後輩歌人がどんどん推薦されていきます…。最初は気にしてなかったんですが、そのうち、「あれ?ぼくは?」みたいな気持ちになってきました。まあ、ほんとにお金なかったからしょうがないと思われてたのかな…。(実際に推薦されてたら内心では困っていたかもしれないです)。

「新鋭短歌シリーズ」がいよいよ5期になるという2021年に、ようやく加藤さんが「新鋭短歌シリーズから出す?」とおっしゃってくれましたが、その気になって応募してみたら加藤さんはその年の選考委員から降りてました…。

すごくもやもやしましたが、「しょうがない自分で出版社を探してやる!」と覚悟して、資金のめどがまったく立たない状態で原稿を加藤さんと一緒にまとめはじめたのでした。


私家版と文学フリマ、これからの書店

私家版以上、出版社未満

今回はぼくの本の話ではないです。ただ、一応いきがかり上お話しておくと、「「新鋭短歌シリーズ」落ちました!」となり、書肆侃侃房さんで出すのを諦め、自分で出版社を探していたときです。「これからは私家版じゃないか?」と加藤さんがちょこっとおっしゃったのを覚えています。これが今の文学フリマと繋がってくるのかなと思いました。加藤さんは状況の読み手としては、やはり冴えていたと思います。

お恥ずかしながら、「出す」とは決めたけど、そもそも自分の本が「出る」なんてまったく思っていなかったので、出た後のことを何も知りませんでした。クラウドファンディングのあとは、支援していただいた方へお礼の手紙を一枚一枚書いてたので、それでいっぱいいっぱい。

そもそも「書籍ってISBNがついてたら、書店とか図書館で取り扱ってもらえるんじゃないの?」と思っていて、とりあえずジュンク堂さんとか紀伊国屋さんに営業すればいいのかな?なんて簡単に考えておりました。

ところが、実際に刊行したあと、いろいろ他の歌集とは差があることに気がつきます。同時期に違う出版社から歌集を出した方が「版元ドットコム」に掲載されてるとか…。Amazonでもう予約受付されているとか。

なんかおかしいなと思って調べたら、いろいろわかってきました…。

まず、「明眸社って、取次とおってないの?」ということ。具体的な事柄は省きますが、書籍を大型書店などに配本してくれる「取次」がない出版社にはいろいろな不都合があって、販路はすごく限られてしまいます。

AmazonはAmazonで、しっかり載らない理由もありました。これもあとで知ったのですが、他のところでも書いたので省略します。

さすがにこれはまずいと思って、苦労して取次を見つけ、実際にぼくの本が紀伊国屋さんやジュンク堂さんで取り扱われるようになったのは、刊行してかなり時間がたってからです。

Amazonに至ってはもっとあとでした。

それまではSTORESで自身のオンラインストアを作り、自分でスマートレターで手売りをやっておりました。もちろんそれでも良かったんですが、せっかく「出版社」から出したのに「あんまり私家版と変わらないよなあ…」。という状況が続きます。

その後、やっと取次が見つかったので、自分の本を営業してみました。しかし、版元さんにもわたしにもまったく営業のノウハウなんてないので、新聞でもご紹介いただいたりして話題性はあるはずなのに「どこに営業していいか」などもわからず、取扱書店も増えず…。ほんと徒手空拳みたいな状況で結構「チャンスロス」したかも…。

著者としても、ご支援してくださった方も大勢いらっしゃるし、自分の本にきちんと責任を持たないといけないな、と思い「自分の本のために」いろいろ動いたのですが、結果的に、あまり他の著者がしない経験を積めたような気がします。ありがたいことです。

(いま自分、取次を通したり、営業を自分でしたり、いろいろ出版社としての体制を「自分の本のためだけに」整えてしまったいきがかり上、別に社員でもないのですが個人的に明眸社のお手伝いをしております。文学フリマもその流れでお手伝いをしていました)。

これからの私家版と独立系書店

時代はさらに動きます。

今年に入って、土岐友浩さんの第三歌集、『ナムタル』が出ました。私家版です。

(土岐さんのブログと、古井フラさんのリンクを紹介させてください)

通販でのお買い求めはこちらだそうです。


この前の文学フリマで土岐さんが来られていたので、買うついでに出版にかかった費用をこっそり聞いてみたんですが、「なるほど!」と思いました。

いまぼくも、明眸社さんの「営業まがい」のことをしていますが、詩や短歌を取り扱ってくれるような書店さんは、大手の書店からだんだん独立系書店へ中心が移ってきているように思います。出版不況もあって、大型書店はどんどん少なくなっていて、古きよき町の書店はまったくなくなりつつあります。そこで生き残っているのは、特徴のある書店さんだという話をよく聞きます。

代表的なところで言うと、下北沢の「本屋B&B」さんとか、赤坂の「双子のライオン堂」さんとか。

いま、どこにどんな書店があるのか、というのは正確にはぼくも把握しきれていないですが、そういう書店さんは書店さん主導で本をセレクトされて棚に並べておられます。

もし、詩歌の本の宣伝を、完璧主義の自分がきちんとやるとなるとめちゃくちゃ大変かも…。と思いました。今は少しだけノウハウがありますが、自分の本のときはチラシを作って、FAXを送れば取次さんに書店さんが注文してくれるらしいみたいなことしかわかりませんでした。

ところが、2023年の今、自ら本を選ぶタイプの書店さんは、取次を通すこともあれば、取次から仕入れないこともあるという、ちょっとあやふやな感じなんですよね。言い換えれば、けっこう融通が利きます。

あと、独立系書店の場合、書店ごとに連絡方法が違います。メールだったりするし、電話番号が書いてあったりします。お問い合わせフォームのときもありました。FAXも置いてない可能性もあって、小さいところだと連絡方法すら書いてなかったりします。どうやって本を見つけて仕入れてるのか、というルートだってもちろん何も書いてありません。

したがって、単純にお知らせすればいいわけではなく、事前の確認作業も必須になります。

せっかく何社からも断わられながら、がんばって取り扱ってくれる取次さんを見つけたのになあ…。ぼくが出した出版社のような小さい出版社だと、なかなか認知度もないし、もうほんと、出版にこれからも携わるつもりで、書店営業の基礎知識みたいな本を買わなきゃな、と思いました。(ぼくあくまで著者ですが…)。

こういう独立系書店さんに置いてもらえるように、1部見本を送ったりする作業もあります。あと、もし取引が成立しても、取次を通さない出版社と書店さんとの直取引になるので、出版社のほうで、納品書や振込先記載の請求書も作らないといけないです。「これ、本が出るたびにやるのかな…」。という不安もありました。

しかもこれを一店舗じゃなくて何十店舗もやる、となったら、一通一通確認のためにメールしたりもあるので、とても大変だと思います。

自分の本ならともかく、他の方の本を営業するのは、いくら自分がその本を好きで紹介したいと思っても、さすがにボランティアではできないかも…。(といっても、最近出た新刊はたまたま手が空いてたからちょっとだけやりましたが…)。

さきほど、「自分の本ならともかく」と申しました。そうなんです。

こういう「独立系書店さん」へ自分で問い合わせて自著の見本を送ったりチラシを配ったり連絡をしたりという窓口は、もしかしたら著者でもいいのかもしれないと思いました。

今までは出版社から出さないと流通しない書店さんもありました。

ところが、さきほど話した『ナムタル』に関しては、裏にISBNは全く載ってないくらいの潔さ。

ぼく自身は、関西の書店めぐりはしたことがないですが、「犬と街灯」さんは、私家版の聖地みたいになっているということ。

土岐さんは「あえてつけてない」んだと思いますが、私家版でも、今安くISBNをつける方法なんていくらでもネットで見つけられますし、そういう「独立系の書店」さんで著者と直接取引を前提で交渉すれば、ISBNなんてつけなくても、書店営業を著者でできるってことですよね…。

実際、今も更新されている最適日常さんの「2023年の歌集・歌書刊行情報」の最新版リストををみていると、「文学フリマ」の影響は確実にあったと思いますが、ずらずらずらっと「私家版」じゃないですか…。

(画像をクリックすると、スクショしきれなかった分も含めて、リンクに飛びます。もちろん短歌出版社から出している本もありますが、私家版の割合はかなり増えてると思います。)

“2023年の歌集・歌書刊行情報“.最適日常.2023.11.21.
https://saiteki.me/tanka-publication-list-2023/,(参照 2023‐11-21)

これからの時代、著者次第になりますが、「文学フリマ」や「独立系書店」「個人通販」など、私家版でも「売れる」体制が整いつつあるかも、と思いました。

もうずっと外側の話ばかりしてますが…。実は「外側」、つまり短歌を取り巻く環境の変化ってすごく大事です。

これを前提に、ラストの話いきます。
(今度は6000字オーバー…。ほんとすみませんー)。


この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?