すいませーん重症でーす

実は「わたしの体を心配してくれる」ごく一部の友人(3人くらい)に話して伝えるのが非常に大変なので、noteにとりあえず書きます。

そういう点ではTwitterのほうが楽だったけど、別に3人ともTwitterやってないし…。まあ、Twitterは「こんな感じでした」と短く言えば、何人かは心配してくれるでしょうが、別に仕事の予定と一体化してるわけじゃないから、どうこうということはないです。

もう宛先と読む人がバラバラなので、いまごめんちょっと別の話題でお返事遅れているひともいるのだけれど、とりあえずこんな状況です、っていうことをご了解いただいて、ちょっとお待ちください。

(昨日もすごく寝るのも起きるのも相当つらい状態で、なんもお返事もできん状態でした。「いま健康じゃない」ので関係ない話題ふらないでね)

             ※

睡眠時無呼吸症候群の検査結果がでて病院に行ってきたんですが、

「追加で精密検査をする準備をしてる時間も惜しいのですぐ治療しましょう」と言われるぐらいの

「一発レッド」

でした。

私も病気の診断基準のことは今日知ったのでうろおぼえですが…。

一時間に20回くらい呼吸をするかしないかっていう時間がある状態だとまず「疑いがある」という状態なので、精密検査が必要な状態だそうですが、

たとえば、これが一時間に40回止まってたら、「もう検査してる場合じゃないな」という例というか、無呼吸だろうという前提で医師も動くみたいなレベルだそうですが…

わたしの場合、一時間にならすと「60回」止まっているということで…。

先生も「あんまり見ないですよ」というくらい、この病気の重症度が高いらしいです。

つまりほんとにその名のとおり、睡眠のときは、無呼吸状態らしい…。
全然こころの準備ができてないまま、いきなり呼吸器を渡されて、

「ハイ治療」みたいな状態で、呼吸器が手元にあるんですが…。

これどうすりゃいいの?

           ※ 

でも、なんか今回の場合「あたり」の予感がしました。

なんか先生もカンがあるじゃないですか。紹介状とかみて、この人やばそうだなとか、そういうの見て、初診のときから治療の話をはじめてたので、うすうす感じてはいたんですが、それが何をあらわすかは理解してなかった。

とりあえず、すぐ紹介状を書いてくれた精神科の先生に連絡して、ベンゾジアゼピン系の不安薬や睡眠薬(筋弛緩作用がある薬)を飲んでる場合じゃない。つまり、「肩こりがひどい」からってデパス飲んでる場合じゃないらしいということは伝えた。

まあこの病気の場合、重症だったから「すぐ死ぬ」っていうわけではないらしいので、該当薬の中止や、呼吸器をつけて気道を確保することで、この値を正常にすることは「できる」ということなんですが…。

               ※

あと、連絡もしなきゃいけないんでしょうけど、考えてみれば、

俺って連絡先あんの?

っていう状態…。

行政というか、障害福祉の担当者にはすぐ連絡をいれるんですが、自分の状態を福祉の担当者にはなしてるって、まあ、珍しいっす。

だって、ふつうそういうの聞いてくれる家族っているけど…。

幼少期から一緒に暮らしたという意味での「同姓の家族」ってみんな死んでる。

呼吸器の管理もそもそもどうすりゃいいの? という状態だし、一人なんでもう困ってます。

一応母とか、父の兄弟は存命ですが、母は、それ聞いても「心配はしてくれる」けど、遠方だからどうできるという状態ではないから、逆に心配をかけるのはまずいし…。

父方は大学生のときにもう異端者扱いされてて、一応好意で話を聞いてくれる方はいらっしゃるけど、もう老齢だからね。今さらどう、ということもないから…。

まあ、そんな依存度だよね…。

そう、一見すると、私ってふつうに話せるし、なんか障害程度って軽いように見えるけど、こっちになんかあったとき他の家族の厄介事(まあ妻ですが)まで面倒見てる環境ってまったくないっす…。

なんか、「厄介なもの」は押しつけようとする人はいるんだな、と思いましたが、その人たちが「こっちが厄介になったとき」別になんかしてくれることはないしね。

             ※

まあ、そういう社会的な孤立感はずっと強くて、ぼくの性格もかなり癖が強いというか、一度面倒みると決めたひとは、もうあの手この手で喜ばせたり、下働きも全然するんですが…「だめ」と思ったり思われたりしたひとは多分ずっと「だめ」だから…。現代的ですよ。ブロックとかって。

離れたら二度とそっちへいかないので、「価値観があう友人」なんてほんと少数だから(いただけすげーよ)…。

まあこんな感じのお知らせになるんですよね。そもそも。

             ※

じゃあ治療法は?

(呼吸器とか睡眠薬やめるとか、あくまで対処療法なのです)

ということですが、ズバリ運動不足の解消・肥満の改善です。医療サイドは精神科の先生も睡眠の先生も結論は同じでした。昔は70キロ代だったけど、いま95kgあります。

ふたりとも、

「一日1時間の有酸素運動。(歩くとか、そういうことらしいんだけど)それを日常生活のなかに取り入れてください。」

ということだけど、具体的にどうするって自分の意志になるじゃないですか。毎日歩く以前に、「精神症状であんまり外に出れない人が明日から急に1時間散歩する」ってどうすんの? 

っていうのが大きな疑問です。

ただぼくの身体状態というのもコミで考えて、

「えっ、運動してやせて、呼吸を改善させること」には興味はあるけど、自覚症状として実際もう坂道のぼると息きれてるし、「走る」なんて自殺行為だ、って精神科の先生も言ってたけど…。

じゃあその運動を歩く以外で叶える方法はないのかというと、まあないんだろうな、という状況なんです。

でもいきなり、「歩け」って言われて「明日から毎日1時間歩きます」って引きこもりの人には現実的なのか? 

という話になってくるんです。やっぱり一人じゃ無理だよ。

             ※

1日1時間外出するために、生活習慣を整えるだけでもいま相当大変です。

身体的な健康を確保するために、いまこうなっている原因の精神的な不健康を、改善するのって、もう難しいんじゃないか、ということで、医療か福祉の範囲で、この「運動」もカバーしてくれないのか、とお願いをしようとしています。

そうそう。「ずっと家にいる」人に、外にでろって判定して言うのが医療だとしたら、どう外にでるか、とか、どうすればいいか、ということを調整してくれる役割ってぼくの場合、絶対必要です。

外に出るのがいやなわけでもないし、生活習慣を整えるのがいやなわけでもないけど、そもそもやり方がわかんないので、誰か教えて、っって話です。
(昼夜逆転をかろうじて防いでいるレベルだよ)

それが誰になるのか、っていうのを確認するのがぼくの第一歩かな。

ただどちらのお医者さんも、医療ではカバーできない、って言ってたので、
福祉も何も出来なければ別にぼくも何もできないかも…。

ってことでした。

運動かあ…。

そもそも高校終わってから十分な運動なんてしてないし、20代のときサッカーやろうとして10分くらいで戻しちゃって周りに大変な迷惑をかけたり、

なんか最近も野球やろうとしたら、1塁に走るだけでいきなり靭帯切れるみたいな経験も作業所時代にあったので、まあ、苦手というか、想像がつかないよ。

もしかしたらこんな状態ですよ、ってお話したら、なんか入院とか、もう強制的に環境変える?みたいな話にもなりそう…。

いろいろ思うことはあるけど、ちょっとすぐ判断できません…。

そしてぼくはこの文章を書き終わったら、15分の説明をうけただけのCPAPという呼吸器をつけて寝なきゃいけないんだけど、試しにやってみたら鼻が乾いちゃってもうひどかったので…。不安しかないです。

ちょっとあらゆるタスクに最優先でいろいろ努力はするので、明日からがんばります。

大丈夫なんか??

わかんないけど…。

              ※

考えてみたら、俺の健康の話だから、別に大丈夫じゃなくてもみんなどうでもいいでしょ、っていうくらい、精神的な不健康や、他者への不信感は拭えないです。

家族も知人もみんな先に逝ってしまったので、俺があと5年で死んでも別に誰も文句がないんだよなあ…。そこまでして長生きする?

っていうモチベーションもないしね。

と思って、たまたま読みかえしてたのが歌人ではない寺山修司の本「書を捨てよ町へ出よう」と、青空文庫の小説家ではない安吾の文章「日本文化私観」とか、「堕落論」とか。

いろいろ日本文学についても思うことがあったので、書きたかったんだけど、まあそれどころじゃない。

ただまあ、夭折ではない、けど、早死に、という点では、寺山さんも坂口さんも40代とか50代だったと思うから、彼らに長生きの秘訣は聞けないかも。とおもいました。

すいません、お目汚しでしたー。

ではまたー。










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