花山さんの価値
花山さんというひとはいま、すごい唯一無二くらいの友人なんだけど。
花山周子さんがどういうふうに歌をつくるのか、っていう過程を理解してないひとが、ちょっとわかんない人が多いんじゃない。
って話。
本人もわかってないけど、オレ、さっきよく目をこらして、線をみたら。
花山さんは、絵描きだから。
いつも見ようとしてるんだとおもう。
おれ、絵描きってあんまりあったことなくて。
絵描きがどうやって絵を描くかっていうのを想像できないとおもうんだよね。
花山さんはたしか油絵を書いてた印象なんだけど、オレ、わかんなくて。花山さんの絵をみたことないんだ。
でも、一回でぱっと掴めてる感じはしないんだよ。
花山さんという人の凄さって、その取扱の慎重さ。
絵筆とか、そういう手にもっているものとか、そういうものの素材の良さをとか、素朴さとか、知ってるんだとおもうんだよ。
花山さん素朴なひとだけど、言葉を使うときもめちゃくちゃ慎重なひとで。
一回ぱっと、なんか落としものとかするんだけど、それを拾うときも、なんかいもその感触をみながら、一回落としたものを把握しながら拾うみたいな作業をしてるとおもうんだよね。
で、うちらはその凄さを、誰も真似できないの。
で、オレは言葉しか使ったことがないから、
で、言葉って何かを見ながら言うじゃん。
で、オレはかんたんに、自分の感情とかもやもやを、すごい憧れて歌うんだよね。
だから、カッコつけみたいな話になるんだとおもう。だけど。オレは、言葉で、そもそも体があんま動かないから。動作とか、動きへの憧れはすごいあるんだよ。
だから、それをおれは動作って言わないんだよ。
うつくしく、日本らしく所作っていうんだとおもう。
花山さんは、それを動作とか作業という素朴なことばに似合うような姿で、何回も見ながら言葉を使おうとすると思う。
で、ここからがすごいんだよ。
花山さんの代表作ってなんだろう
みんな覚えてるのなんだろう。
実は、多分母に踏まれたとか。
集中力アップみたいな、コミックみたいな歌で。
で、オレなんか、愉快とか面白いよねってその本人が書いたというか、出力した結果をみていうんだけど。
本人が、書こうというものは、そういうわかりやすい、なんか絵柄の面白い歌って、どうでもいい感じで。
いい絵を書きたいという野望があるんだと思う。だから、結果として、「絵」になればよくて。
それが、いい絵かどうかの判断は本人だけができるけど。
ゆりかもめが曇天に浮いてるとか。
どういう感情が込められてるとか、全然わからないんだよこの歌。
絵だけが見えんの。
うちらは感情を付属させてぱっと見せるんだけど、花山さんはコレいいかどうか把握できるまで何回も繰り返しいろんな姿の歌を、結果として作って800首みたいな話になったんだと思うんだ。
で、どの絵を作りたいかとかはあんまりよくわからなくて、その絵をいいというひとにあげたいんだけど。
でも本人があまりいいとおもってない歌は、あげられない。
それがうちらが面白いといってる、集中力とか。
母に踏まれた、みたいな、いかにも表現みたいなのがかいてあるけど、コミックみたいな図柄の歌。
でも、花山さんはコミックを書きたくはなくて。
なにか絵を書きたいとおもってる
全然過程が違うんだと思う歌づくりの。その凄さをいってあげられないというか、たぶん、気づいてる人が、言わないのは、ちょっとさすがに、かわいそう。花山さんがうちらの世代でいる意味。
もう完璧、その慎重さにおいてなんだとおもうんだよね。
手付きとか、手でさばけないから手さばきで言えないけど、ほんと集中しながら絵を書いている花山さんの姿しか浮かばない。けど、
見えてんのは花山さん絵みたいな結果になるから。
俺ら花山さんの絵がうつくしいのか、
本人の姿がうつくしいのか。
二重に判定してあけないとちょっとかわいそうで。
複雑なんだな多分歌を見て姿いいよっていえるか、絵がいいよっていえるかっていうのは。
ちょっとわからない。
でも笑っちゃ駄目だよ。真面目にスゴイ一生懸命絵を書いてる人だから。
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