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意識しつづけること

実はこの猛暑や地震といった出来事で、かなり参っています。
ちょっと戦争の話題の外堀の話をします。

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長崎の原爆式典に欧米の代表が来ないこととか、いまあきらかに世界で起こっているできごとは異常で、日本もすごく「注意して」望まないと危険です。

ぼくは「イスラエルが国内に一体どんなふうな政党があって、何を言っているのか」まで調べて、以前GAZAの連作を書きました。

その結果、「ぼくが思ったことを欧米で言うと大変なことになる」ということに気づき、だとしてもぼくは「欧米の不正義」を見逃すわけにはいかないと思いました。

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ドイツでは戦時中、おおくのユダヤ人をアウシュヴィッツなどの収容所で大虐殺し、世界でも例のない民族浄化が行われようとしたのはうっすら知っている人も多いでしょう。

しかし、ユダヤ人に対する差別意識は、他の多くのヨーロッパの庶民の間にも18世紀ごろから浸透していました。おおむね、「ユダヤ人は差別される側」でした。彼らは、キリスト教徒が宗教的な理由でつくことができなかった金融(金貸し)の仕事につき、ユダヤ系の資本家や、教育を受けた有能なひとびとをたくさん排出しました。

それに対する「逆恨み」の感情が増幅し、ナチス・ドイツは「ユダヤ人問題
の最終解決」を言い始めます。

おそるべき大量虐殺がはじまり、ナチスが敗れたことで、その暴虐も一見「終わったか」に見えました。

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戦後の西ドイツ政府は、「私たちは西側諸国によってナチスの悪夢から開放された人々だ」というアイデンティティをもつことで、かろうじて「ドイツ人がユダヤ人を民族的に虐殺しかけた」という事実から一度、目をそむけようとしました。

建前としてはそれでいいのかもしれないですが、国民感情としては複雑なものがあったと思います。「自分たちの民族が同じ隣に住む民族を虐殺しかけた」などという事実は、人々の間でなかなか受け入れられるものではない、苦しすぎる認識だからでしょう。

西ドイツのコール首相は、ノルマンディ上陸作戦を祝う対独戦勝式典に参加しようとして、アメリカやイギリスなどの戦勝国から「さすがにそれは…」と拒否されてしまいます。英米にとっては「敗戦国ドイツ」でしたし、ドイツ国内では、「ナチスとは関係がないドイツ」でした。

新しいドイツ政府(旧西ドイツ政府)は、現在に至るまで、ナチス・ドイツを想像させるものを掲示したり販売したりするのを法律で禁止しているそうです。(映画とかは作っているので、それはいいのかなとは思いますが…)

そしてこれは知られていないことですが、現在のドイツこそが、もっとも熱心にイスラエルを支援している国なのです。

実際、戦後のドイツは、ナチスを禁止すれば「ナチス的なものは復活しない」と思ったのかもしれません。同様に「ユダヤ人迫害を禁止すれば」ユダヤ人に対する迫害はなくなると思ったのかもしれません。

それは苦しい認識だったように思います。

現にドイツのベルリンで、いまはどうなっていうかわかりませんが、「パレスチナは自由である」という歌を歌うと逮捕されてしまうという事件が発生しました。「え、人種差別でもない関係ない歌を歌うと逮捕するって、なんなの」ということでした。

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実際彼らが支援するイスラエルは、何度も欧米の支援を受けて中東諸国に侵攻しています。イスラエルが生まれた背景にあるのは、善悪の判断ではなく「欧米諸国のうしろめたさ」なのです。

彼らは理性的な善悪と言うより、「ユダヤ人を虐殺した」という事実を認めたくないために、ことさらユダヤ人国家を援助しているように見えます。そういうところに露出するのは、単なる「ユダヤ人に対するうしろめたさ」以上のことです。

かれらはイスラエルを支援することで、イスラエルにもとからいたアラブ人を「人間扱いしていない」ということを、案に認めているからです。

だから日本の長崎市が、イスラエルを「平和式典に招待しない」ときめたとき、6カ国もの欧米諸国がそれに抗議して欠席できるのです。

わたしは残念ながら日本人で、ヨーロッパの事情はよく知らないし、今回の場合は、よくしらなくて良かったと思います。ユダヤ人の扱いも、アラブ人への蔑視も何も変わっていません。ヨーロッパの中では「差別される側」のユダヤ人が、ふとアラブ人との関係になると「ユダヤ人はヨーロッパやアメリカの人」という認識になるのは、やっぱり人種差別の感情なんじゃないのかと思いました。
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わたしは個人的に、アラブ諸国やイラン・イラクといった湾岸諸国に親近感を持ってきました。イランの人がよく日本に来て、たこ焼き屋さんを開いたなんてニュースも見たけど、基本的には中東湾岸諸国になにか差別感情はないと思います。サッカーで負けると悔しいくらいかな。

ただ、実際のところ面と向かっては言わないけど、ヨーロッパ人はユダヤ人を差別し、抹殺しようとした過去に向き合っているように見えますが、実際、ユダヤ人が「何をしてもいい」と言って、アラブ人を殺すのを黙認しているわけですよね。むしろ支援すらしている。

こんなあからさまな不正義が行われている欧米を、わたしは美しいとは思わない。人種差別は、彼らにとって、奴隷貿易からはじまった「当たり前」のものの見方なのです。ほんとうにいけないことだと憤りますが、わたしは欧米人のような感覚を持たなくてよかった、と思っています。

もちろん欧米のなかにもいろいろな人がいる、当たり前のことです。
ユダヤ人にだって心を痛めている人がいる、当たり前のことです。

しかし、多くの「ふつうの国民」は、こんな事実を受け止められないんだと思う。「良心的な知識人」がいかにがんばって世界平和を解いても、世界平和は実現しません。それを妨げるのは、民主主義諸国の場合、多くの人の心の内側にあるからです。

おそらく私がGAZAに当てた連作の中には、ヨーロッパで発禁処分になるものもあると思います。

ユダヤ人大虐殺の疚(やま)しさをムスリムに押し付けてすこやか

西巻真/「現代短歌」7月号

こんな歌を作りました。思いっきり戦後ヨーロッパ人の「市民感情」を歌った歌ですが、このようなものはヨーロッパの人たちには「受け入れがたい」ものでしょう。

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社会には様々な不正義・不公正が今も残っており、どの国もそれがもつ理不尽さから逃れられるわけではないと思います。私は日本の「不正義」に対しても看過はしたくないです。

ただ、こんなことを日本について言うと大バッシングを受けるかもしれません。

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実はいま、意識する(気をつける)ことが多くなりすぎて、こういう記事を書ける状況ではないです。

夏バテが襲ってきて、今まで健康のために意識していたこと「食事+呼吸+ストレッチ」みたいな習慣に、服薬や各科の療法、さらに生活上の課題から逃れられるわけではなく、ポイ活や人間関係とも向き合っていたため、一つの症状がおさまると他の問題がとっかえひっかえ自分を襲ってきて、再び深刻な鬱になっています。

終戦記念日までには、戦争の続きを書きたいけど、
体調が悪すぎて能力が発揮出来ません。

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残念ですが、また一からやり直しですねー。

「意識する」のは簡単ですが、「意識し続ける」のはても大変です。5つも6つも同時に意識し続けられませんよね。。。


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