教員の怖れ

今週いろいろ話してて&観察してて思ったこと。

どうしてそんな細かいところを揃えたがるのか。
融通が利かないのか。
もっと個に添った支援ができないのか。

の、答えは、実は、「きちんとさせたい」からでも、「事なかれ主義」でもなく「頭が堅いから」でもなく、
「怖れ」が第一位なんじゃないかと。

教室には世の中の方々が思うよりずーっといろんな子がいて、特に愛着障がいのある子はとても難しくて、わざと集団を壊すようなことをしたり、わざと学校を壊すようなことをしたりしてる、と感じる行動も多々あります。
愛情を注いでも貪り取っていくようで、とにかく時間もかかり、家庭の協力もお願いできないことが多く、ものすごく難しいです。

よく、SNSで
「私は子どもにとって良い親ではないのではないか?」と内省されてる方がいますが、そういう方はきっと良い親です。

そういうレベルではなく、もう、想像もつかないような過酷な生育歴の子もいて、そういう子は家では頑張ってても学校で大変なことになってたりします。
集団が大きすぎるので、その中でそういう子たちを受け止めるのには、それなりの経験や強みやコツやカリスマ性や、とにかく「何か」が必要になります。

そして、そこまでいかなくても、日常生活で満たされない子はたくさんいて、ちょっとした緩みや意思疎通の失敗で、簡単に崩れてしまうことはあります。

学級が上手くいかなくなると、本当に地獄です。
暴言暴力、伝えても伝わらない無力感、教えなくてはならないことが教えられない焦り、激務の中、満たされることは何もなく、自信だけを失っていく毎日。

それを、一番怖れてるんじゃないか、と、なんとなくそんな気がしました。

低学年が乗ってるブランコの枠によじ登っていく6年生を注意しながら、
ホント、高学年の先生方お疲れ様です…と思い、
低学年のうちに何を大切にして育てていくか考えさせられました。

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