攻殻機動隊3

その後、ゴーストインザシェルは日本よりも世界に影響力を及ぼした。
日本人の全体的な意識レベルはまだファミコン段階でしかなかった。
作品の影響は各所に種として撒かれて、やがて芽吹いた。
その一つが、映画、マトリックス。
マトリックスの象徴的な緑の文字が、カタカナ、であることがその証左。
原点は、攻殻機動隊にあった。

そうして、世界に撒かれた種が、知性となって、人々に先見の明を与えた。
先を見通す目は、起こるはずの何かを阻止する。ようするに、未来が変化する。起こるはずの戦争も、未熟な争いも、いくらかは回避されたかもしれない。
しかし、シワ寄せは大きな波となって、せき止めた分だけ、威力を高めて、現実に破壊をもたらす。
既定路線はそうそう変わるものではない。

スタンドアローンコンプレックスは、逆輸入的に日本で見直された攻殻機動隊と考えてよい。つまり、海外で高い評価を得たから、再度チャンスが巡ってきたということだ。日本人が、ようやく自分達の作ったものの良さに気づいたらしい。

その序文はこうである。

「あらゆるネットが眼根を巡らせ、光や電子となった意思を、ある一方向に向かわせたとしても“孤人”が複合体としての“個”になる程には情報化されていない時代…」

まわりくどくなった。しかし、洒落ている。カッコいい。
あらゆるネットとは、社会の構造と電子ネットワーク、人々の繋がりが網目状に、様々な媒体によって立体的に構成されている。その主な素材は、光と電子、信号として扱われる情報が、人々の意思を乗せて往来している。そんな乱雑に収取のつかないスクランブル交差点のような人々の意思を、流れを作り出すことで導き、一方向に束ねるとどうなるか。総体としての、人間、という大きな存在が浮かび上がってくるだろう。それぞれの“孤”は、全体として“個”を認識するに至るだろう。これは、その黎明期の物語である、というような話。

スタンドアローンコンプレックスとは、造語である。
思考実験の産物であるが、ある仮説を唱えるものである。
つまり、

1、ある人物が流れを生み出す
2、流れが相対的な個を生み出す
3、流れを生み出したリーダーが消え去る
4、オリジナルの不在によって流れが保てなくなるのを恐れて、人々がその役割を分担して補おうとする
5、自分がオリジナルだ、と主張する者が現れる

こういったことが、人間社会において繰り返されてきたのではないか、という指摘。最初に神がいて、その神が消えた世界で、人々は偶像崇拝を始め、神を名乗る者が現れる、というようなことが、当然として起こるのは、そこに一方向に束ねられた意思による“個”の自覚が発生するからではないか、という話。

つづく

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