攻殻機動隊1

大作であり名作であり、すでに多くの人が語りきっているであろう話ではあるが、長文にならないように、私なりに、さっくりと要点をまとめたい。

まず、最初に知っておかなければならないのは、三人の作者のこと。

士郎正宗、押井守、神山健治。

原作者は、士郎先生。
ゴーストインザシェルは、押井先生。
スタンドアローンコンプレックスは、神山先生。
この三者の、それぞれの作品は、メッセージが異なる。

原作の漫画は、近未来SFとスピリチュアル。
ゴーストインザシェルは、魂と理性。
スタンドアローンコンプレックスは、社会と自己。

ざっと分類すると、こんな感じ。

原作である攻殻機動隊から、ゴーストインザシェルが作られ、ゴーストインザシェルから、スタンドアローンコンプレックスが作られた。
これらは、段階的である。
主人公達のキャラクターが、名前は同一であるが、全く違う。

私が一番好きなのは、スタンドアローンコンプレックス。
けど、スタンドアローンコンプレックスよりもゴーストインザシェルの方が深淵な作品であり、更に、原作の攻殻機動隊はずっとずっと深くて、まるで底が見えない。

根本的なことを言えば、全ては商業作品である。
スタンドアローンコンプレックスはテレビシリーズ、ゴーストインザシェルは映画、攻殻機動隊は連載漫画。
より個人的な作品である方が内容は深くなり、収益を重視した企業ぐるみの作品ほど底が浅くなるのは、仕方のないことだろう。
スタンドアローンコンプレックスが面白いのは、売れる要素がふんだんに盛り込まれているからであり、より大衆に受けるように計算されて作られているから、と考えておけば間違いはないと思う。しかし、それにしたって、内容が難しい。スタンドアローンコンプレックスは、数あるアニメの中でも、ずば抜けて知的に高度な作品であり、ハイセンスである。これが人気作品になったのは、視聴者の知的水準が高かったから、としか言いようがない。

しかし、それでも、本当に内容を理解して楽しんだ人は1%にも満たないだろう。ほとんどの人は「話は難しすぎてついていけないけど、間違っていないことだけはなんとなくわかる! よくわからないけど、すごい!」という感覚に酔ったのだと思う。それを味わうことが知的遊戯に取り組む者の本懐だから、目論見としてはそれで大成功なのだろう。しかし、よくわからないままでも楽しいが、解ってくるとさらに楽しいから、この作品はすさまじい。「なんとなく知的な雰囲気でかっこいいだけの作品ではない」ということが、考えれば考えるほど見えてくる。突き詰めれば突き詰めるほど確固たるものが根底にあると気付かされる。しかし、その一番奥底までは、原作者以外だれも到達できていない。士郎先生ただ一人が、この世界観の深淵を見通している。ただ、すさまじい、の一言である。

原作の漫画は、近未来SFとスピリチュアル。
ゴーストインザシェルは、魂と理性。
スタンドアローンコンプレックスは、社会と自己。

と先ほど書いたが、それを簡単に解説したい。

SF(サイエンスフィクション)というジャンルがものすごいブームになった時代。
科学への絶対的な信頼と、それが作り出す未来への希望。それに浮かされた時代があった。
SFは、はるか遠い未来であるほど容易く描くことが出来る。間の展開を省略して、色々あってこうなった、とすれば、なんとでもなってしまう。しかし、近未来SFは、そうはいかない。100年、1000年先のことであれば、私達が生きているはずもないはるか未来の話なので、自分の人生の延長から飛躍してしまい、地続きは途絶され、思考は放棄されるが、ほんの30年~50年先の未来となると、そうはいかない。ごまかしがきかない。携帯電話がスマホになりました、では、10年後はどうなっているでしょう? ということを考えるのが、近未来SF。そこから、更に10年後はどうなっているでしょう? というようにして、全て、地続きに説明されないと、リアリティが保てない。ようするに、近未来を描くということは、正確な未来予測をしなければならない、ということになる。予想であり、予言であり、答え合わせは30~50年後、という話。そして、恐ろしいことに、攻殻機動隊の世界は、着実に現実味を帯びてきている。これが描かれた当時は、ゲーム機はファミコンが最新機種の時代である。携帯電話など、一般人は見たこともない時代。その時代に、人の頭の中にナノマシンによる電気ネットワークを形成し、思考とインターネットが違和感なく互換性を持つようになり、人々の意識は電気信号となって、ネットの世界をさまようになる、という予想を繰り広げていたのだ。

つづく


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