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2022年1月2日

 あけましておめでとうございます。
 最近、あまり文章を書いていなかったので、少しだけ書きたいと思います。内容らしい内容のない話になりますが、雑談だと思って聴いてください。
 昨日は、1月1日、元日ですが、一日中、無職転生というアニメを見ていました。岡田斗司夫ゼミ、というYouTube動画にて紹介されていたので、興味を持ちました。結論から言えば、とても面白いアニメでした。けど、気楽な娯楽作品というわけでは全く無くて、かなり、心が揺さぶられる話でもありました。
 アニメや漫画といった娯楽作品というのは、ある種ジャンクフード的な側面があると思います。ジャンクフード的、というのは、滋養よりも味を重視したもの。いわゆる現実逃避の意味あいが強い、健康的とは言えないもののことです。目の前のリアルから目を背けることを楽しむもの、ということでもあるでしょう。思考を楽しむ娯楽の場合、例えるならば、自分の頭の中にある、情報を溜め込んだ図書館のような世界に閉じこもって、その記憶の貯蔵を見返すことで、自分と向き合い、散乱していた情報を整理したり、既に知っていることをより理解する作業に取り組むことで、自らの脳内空間に没頭し、外界のことを忘れる。そのときに、自宅に帰ったような安心感や、ちょっと大掛かりな掃除をした後のような爽快感を獲得できる。そんな側面があると私は思うのですが、無職転生という作品は、現実逃避の先に、更に現実を浮き彫りにする作品になっていました。
 異世界に転生することで、出口のなかった現実から逃れ、可能性に満ちた世界で、心機一転、うまくやる。才能を発揮して、縦横無尽に活躍する。そんな自分にとって都合のよい願望を叶えたいという欲を満たすような、ありきたりな転生もののストーリー展開から、一歩進み、成功し続ける理想的な自分から、ときおり、転生前の醜い自分の姿を思い出す物語です。否定したい、自己嫌悪そのものが、唐突に現れ、夢から覚める。まるで、冷水を浴びたようなガッカリを何度も味わうことになります。
 主人公は、いじめられて引きこもりになり、30半ばで家を追い出されると、その日のうちに車に轢かれて死んでしまいます。被害妄想で他人が全て敵に見えていて、みんなから気持ち悪がられ、嫌われていると強く感じていて、誰も信じることが出来ず、前向きに何かを努力する理由を持てない人間です。何も守るべきものを持たない、ただ血が通っているだけの、たるんだ肉の塊のようなダメ人間でした。だからといって今更、何もやり直せないし、やっても上手くいきっこない。これまであらゆる選択を誤り続けてきて、とことんまで落ちぶれた状態でした。唯一の救いは、だからといって馬鹿というわけではなくて、失敗するとわかっていることをやらないだけの知性は持ち合わせていたこと。とくに失敗しない代わりに何も成功もしなかったのです。それだけの空虚な存在として、そんな自分を憐れんでくれる人の助けを利用して、極力自分からは何もしないように生きていた。そういうお荷物な人間でした。
 そんな彼が、外に出るようになり、人と関わるようになり、人を好きになったり、人に好かれたり、才能を認められて活躍したりと、人並以上に理想的な人生を、今度は丁寧にきちんとこなしていきます。大望を叶える、ヒーローの物語ではありません。そもそも、この主人公は大きな望みなど持っていないからです。主人公の望みは、今度こそ人間らしく普通に生きよう、という、それだけのことで、大きな才能を持ってはいるけど、それを使って大きな責任を負おうとは、あまり考えていません。
 美男美女の両親に愛されながら、記憶力のいい頭と、若々しさに満ちた肉体のありがたみをしみじみ感じつつ、大学に進学するために貯金をしようと考えて、親に相談して、仕事を始めることにします。
 転生前は、まったく仕事をしたことがありませんでしたが、転生後は難なくこなすことが出来ました。その時点で7歳程度でしたが、赤ん坊の頃から大人としての自我をはっきり持っていたので、無駄のない成長をしてきたので、すっかり同年代とは比べものにならない能力と知性を備えた大人の一員になっていました。能力と、容姿と、親のコネを存分に使って、なおかつ欲張らずにつつましくやっているので、うまくいかない筈がない状態です。充実による安心感と、失敗を常に想定出来る余裕を保ったまま、転生後の人生を、自信を持って、イメージ通りに着々と歩んでいきます。
 しかし、主人公は、大人に近づくにつれて、徐々に能力に見合った責任を負っていくことになります。といっても、アニメでは13歳程度までしか話が進まなかったのですが、転生前の主人公がひきこもりになった一番の原因、核心が、どうしても主人公の失敗を誘発します。それはつまり、自己中心的で、他人に何かをしてもらうことが当たり前という、甘えた考え方です。主人公が欲張って、より効率を求めて、最小の労力で最大の利益を獲得しようと浅はかな計算を働かせると、想定外の展開になってしまい、とりかえしのつかない被害を発生させます。人に感謝するという気持ちが欠如していることと、自分の判断だけで物事を解決してしまおうとすること。ようするに、めんどうくさがりのような気持ちが、主人公の中にあります。協調性を全く育まず、自己中心的でありながら、なおかつ他人に依存して生きてきた、その癖が性格にしみついています。その長年培ってきた基本的な甘えの態度は、転生後の優れた能力を持ってしても、なかなか拭いきれるものではありませんでした。
 けれど、立ち直るチャンスが無かった転生前とは違って、今度は多くの支援に恵まれていて、前に進むことが出来ます。失敗を成功に変えていく強さが、転生後の主人公にはありました。
 けど、何かいいことがあると、すぐに悪いことが起こります。主人公は、どんなに頑張っても、三歩進んで二歩下がる、を繰り返します。転生前は、進まず下がり続けていたので、それと比べれば、はるかにプラスで、きちんと前向きに生きていると言えるので、その不幸も、乗り越えられる現実としてちゃんと受け止められるのですが。

 結局、この物語は何がいいたいのか。
 物語が完結していないので、はっきりとしたことはまだ言えませんが、私が、とりあえず感じた要点は、生きることは、守るべきものを持つことだ、という考え方です。

 能力や環境に恵まれた転生後と、全てにおいて中途半端でいじめのトラウマでひきこもり、そこから何も努力する理由を見つけられず、ただ時間だけが過ぎてしまった転生前、その違いを挙げれば、きりがないほど沢山ありますが、物語では、ときおり、肉体ではなく、精神体としての自分に戻ることがあって、すでに死んでいて終わったはずの過去の自分と向き合う時間が発生します。
 そのときに、こんな恥ずかしいみっともない自分なんてもう見たくないんだよ、と主人公は感じるのですが、転生後の華々しい綺麗な人生を送っている自分は、いってしまえば仮面をつけて演技をして成功しているようなもので、その本性は、転生前のこの自分のままなのだと、主人公は自覚しているところがあって、醜い自分に戻ったときの方が、発言が本音っぽくなります。
 理想的な主人公としての自分と、誰にも見向きもされないみっともない、既に終わった自分。それを往復して味わいながら、自分は何者なのかを主人公は考えていきます。どちらの自分も自分なのだと、認めていかざるを得なくなっていくのです。理想的な自分を演じてみても、そこに入っている本来の自分が、信じられないような間抜けな大失敗をおかしてしまうからです。その汚点によって理想的な自分が徐々に汚れていくので、その度に絶望を味わいます。きれいな理想の自分ときたない現実の自分が、時間と共に混ざり合っていき、それに伴って、汚いだけの精神体の自分が徐々にきれいになっていきます。きれいな自分と、きたない自分の真ん中に、きれいさときたなさを併せ持った新しい自分が見えてきます。
 物語には、沢山の人物が登場しますが、それぞれ、何か、守るべきものを持っていて、その為に生きています。
 主人公は、転生前は、守るべきものを持っていませんでした。ただ、死ぬ理由がないから生きていた、それだけで、時間が過ぎてしまって、気づいたときには、とりかえしのつかない状態になっていて、それでも、とりかえしたいという理由すら思いつかず、ただ堕落し続けていた状態でした。
 転生後は、多くのものに恵まれます。好きな人も沢山できます。努力して多くのものを獲得します。そうして得たものを、主人公は無くしたくないと考えるようになり、守る為の努力をします。生きる理由を沢山、持つようになります。
 そして、ときおり、もとの堕落しきった自分に戻るのですが、その自分も、転生後の自分が獲得したものを、守りたいと感じます。
 転生前の自分には、守るべきものがなく、生きる理由も見つけられない状態でした。そんな自分はもう死んでしまっていて、そこに未来はないのですが、そんな自分が、新しい自分の得たものを守りたいと感じる。それは、よくよく考えてみると、不思議な感覚です。
 自分のことを好きな人は、誰も、自分が転生しているとは気づいていないし、転生前の醜い自分を知りません。もし、その醜い自分の姿のまま、転生後の世界にいけば、中身は同じでも、みんなはこれまでのように自分を愛してはくれないでしょう。転生後の自分は10歳程度、未来ある美形の少年で、将来有望ですが、そこに入り込んでいる本当の自分、精神体の自分は、人に好かれる容姿でもなければ愛嬌もない、不気味で、将来性もない、堕落しきった中年なのです。その中年の自分は、とっくに死んでいて、もう何も獲得することは出来ないし、その自分に期待する人はいない。生き返ることも人生をやりなおすことも出来ないけれど、転生後の若くて可能性のある新しい自分の世界で得たものを、この素晴らしいものを失ってはいけない、と感じてしまう。
 主人公は、どうして自分が転生したのか、転生する以前の自分に何の意味があったのか、人生とは何なのか、結局は何も理解できないまま、ただ、新しく得たものを失いたくないという場当たり的な気持ちに突き動かされて、失わない為に努力し続けることを選択しています。
 生まれる前には存在しなかった命が、かけがえのないものに変わり、生きる理由そのものに変わる。そこに命があることが、生きることの理由となっていく。もともとは無かったものなのに。
 主人公は、どうして転生後の人生を歩むのか。
 私は、それを、このように考えました。
 自分に出来ることがあって、守りたい何かがあり、その二つが合わさることで、生きる理由になるからではないか。
 可能なことは、やらずにおれない。そんな機械的な仕組みが、前提として、世界にはあって、壊せるものなら壊してしまおうとする、この世界と、壊れていくものを、せめて今だけは壊れないようにしたいという、誰かの願いによる、せめぎ合いによって、現実は成り立ってきたのではないか。
 ここには、物理的なルールと、精神的な思いの、二つがあって、命が守りたいと感じるのは、合理的な理由よりも、感情的に強い力を持つことに、本当の意味があるのではないのか。
 主人公は一度死にました。転生後の人生も永遠に続くわけではありません。それでも、今度こそはちゃんと生きたい、と意欲を持っています。前よりも上手く生きたいという理由で生きている。いずれ失われるものを、出来るだけ長持ちさせたいが為に、努力し続けます。
 死んだ自分による、過去の意識のまま、そこにい続ける為の、生きる理由を見つけていく。それは、言ってしまえば、その肉体に本来あるべきではない精神が、とりついて、自分らしく生きようとしている状態です。
 二度目の人生を歩みたい。そんな本来ではない人生観を持ちながら、人々とは異なる視点で、誰も理解出来ないような秘密を隠しながら、ズルくて効率のいい成長をして、周りの人間を巻き込んで、自分のやりたいように成功を獲得していきます。その先に、どんな結末が待ち受けているのでしょうか。
 この物語は、世界に乱入した、異物としての主人公が、良くも悪くも、どこへと向かうのかを問うことになると思います。

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