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シンエヴァを楽しむ10のポイント

1、ゲンドウは何がしたかったのか

エヴァの世界で最も賢い人は誰か。
それは、綾波ユイ。
テレビ版では碇ユイ、ゲンドウは六分儀ゲンドウであったが、新劇では綾波ユイが碇ゲンドウの籍に入った形になったらしい。
エヴァを考えるには、ユイが何を考えたのか、を考えなければならない。
ゼーレは権力者集団、世界トップの金持ち達、同時に死海文書を経典とする宗教団体。その目的は人類の罪滅ぼし。
ユイ、ゲンドウ、マリ、は同級生。
冬月は彼らの先生。
全員、超がつくほどの、世界トップレベルの秀才。
ユイはその中でも飛び抜けていて、
学生時代に既にゼーレに所属。
何の為に?
ゲンドウはユイに惚れてしまう。
冬月はユイに惚れてしまう。
マリはユイに惚れてしまう。
世界がユイを中心に回り始める。
全てはユイの計画通りに進む。
ユイは志願してエヴァ初号機の制御システムにエントリーし、そのまま取り込まれる。
これは事故ではない。
将来、自分の息子、シンジが搭乗すると解っていて、リリスの化身であるエヴァ初号機と同化することを良しとした。
その狙いは何か?
ユイが消えた結果、ゲンドウは頭がおかしくなり、
冬月はユイにゲンドウを任され、
マリはユイに何かを託された。
全てがユイの計算通り。
ユイの目的は、自分が神になって人類を見守り存続させること。
だから、ゲンドウの目的も同じになった。
ゲンドウの目的は、神になって、ユイに会うこと。
ユイにはそれも想定内。
ゲンドウが自分に会うために、あらゆる手段をこうじることを予測していて、それによりあらゆる問題が具体化することを読んでいた。
映画のエンディングは、ユイの計画の成就。
ゲンドウはユイの期待通りにやりきった。
そしてユイは神となった。

ちなみに、冬月はなぜあんなにもゲンドウに付き添ったのか。
漫画では、ユイが自分からエヴァの中に残る計画だったことを知っていて、それを知らずにユイを失って苦しむゲンドウの姿を見て楽しんでいた、という懺悔があるが、新劇ではちょっと変わっている気がする。これは大胆な予想だが、シンジがゲンドウの子か冬月の子か、不明であることを冬月だけが知っているのではないか、という説。もしシンジが冬月の子だとすると、どれほどの罪悪感か。その罪滅ぼしもあって、ゲンドウに尽くしているのかも知れない。もしかすると、ユイはマリとも恋愛関係にあったかも説、を想像することも出来る。ユイには、利用出来るものを惚れさせて利用する悪癖があった説。

2、庵野監督は何を考えたのか

エヴァという作品は、最初はオマージュであった。
宇宙戦艦ヤマトをパクったつもりで、キャラの名前はみんな戦艦から取った。
ウルトラマンをパクって、宇宙からやってくる怪物を3分で倒す特撮をアニメでやった。
その他、監督が影響を受けた作品を山ほど詰め込んでいて、もはや全てを説明するのは非常に難しい。
当時、ガイナックスというのはベンチャーであって、若者による若者の為のとんがったバリバリのクリエーター集団であった。庵野監督の師匠はジブリの宮崎駿監督。まだ素人だった庵野さんはアポ無しで宮崎監督のもとに現れ、宮崎監督はその場でナウシカの巨神兵を担当させた。だから、エヴァの元ネタは巨神兵でもあり、ロンギヌスの槍は巨神兵の持つ槍をもっと複雑に設定したもの。生命の実と知恵の実、旧約聖書を下敷きとして、新約聖書の、キリストを刺した兵士ロンギヌスの持っていた槍を、神殺しの槍として、あらゆる生きようとする意思を否定すると設定。その逆に、生きようとする意思をATフィールドと設定した。敵が天使なのは、主人公達人間が悪魔だから。ルシフェルとは光を放つ者という意味で、誰よりも光を放つ少年よ神話になれ、とは、悪魔が天使を倒して神となる、という話。それが大ヒット。しかし、庵野監督の作品はオマージュ。オリジナル要素も多いが、作品の面白さは元ネタにある。エヴァを好きになった人達はエヴァを勘違いした。監督にはそれが不満だった。ファンを嫌いになっていく。その結果が、旧劇と呼ばれる映画。気持ち悪い、という終わりは、監督のファン達への心からのメッセージであっただろう。しかし、それが逆効果。さらにこじらせたファンが増えていく。売れに売れる。止まらない社会現象と化して、監督はこれから一生エヴァを背負って生きなければならなくなった。監督はファンを憎むほどに嫌悪していくことになる。けどやめる訳にもいかない。そして、アニメはCGの時代に。エヴァをコンピューターで描くことになった。それが新劇と呼ばれる、序、破、Qであった。序は、ただ絵がきれいになっただけ。破では、新キャラ、マリ、を登場させて、世界観を大きく変えた。それが最高傑作に。話題沸騰。そしてQでは、とうとう監督のあらゆる負の感情がそのまま形になった。鬱になって病んでいた。自殺を考えるようになったとも。そして、全くエヴァが作れなくなった。その後、リハビリをかねて、シンゴジラを作ることに。やめたほうがいい、そんなことよりエヴァを作れ、と多くの声があったが、それらを無視して、初めての実写監督に。これが大成功。というよりも、その当時の庵野監督は、東日本大震災から、日本という国をたてなおさなければならない、という強い意思を持つように。そのメッセージが込められた。そして、シン・エヴァの制作に入る。一時は鬱になり、もう死んでしまおうと考えていた監督が、もう一度立ち上がろう、とメッセージを込めて、エヴァに臨んだ。

3、エヴァ好きをこじらせた人達

当時14歳でシンジ達と同い年だった人は、新劇ではミサト達と同い年になり、シン・エヴァ公開時にはとうとうゲンドウくらいの年齢になった。劇中、エヴァの呪いと語られる、パイロットの肉体が14歳のまま成長しなくなる現象や、シンジが目が覚めたら14年経っていて、アスカにガキシンジと呼ばれてしまうのも、全て、初期からエヴァを観ているファンのことを言っている。エヴァが終わらないとファンの時間も進まない。もうそろそろ飽きろ、卒業しろ、と思いながらも、自らもエヴァを卒業出来ないでいる監督。関係者全員がエヴァの呪縛の中にいる。なので、シン・エヴァは、関係した全ての人達がエヴァを卒業する為の物語、という裏テーマがある。全員で作ってきたエヴァ劇場の終わりを目指す。

4、テレビ版の世界観

神がいた。神は生命の実と知恵の実を宇宙に放った。ひとつの星にひとつの実が落ちる。地球にアダムという生物が落ちた。生命の実、アダムは死の槍を持っていた。アダムはバラバラになってたくさんの生物となった。その後、知恵の実が落ちてきた。それはリリス。リリスも槍を持っていた。リリスはバラバラになって人間となる。人間は地球を支配した。死海文書は神がアダムに持たせた。本来の運命が書かれている。どういうわけか、ゼーレがそれを見つけ解読に成功、人間が地球に本来いるべきではないと理解する。色々あって、人類保管計画を企てる。知恵の実を持つ人間は醜く争い続けて滅びに瀕している。人間をひとつにすることで争いをなくすことが出来る。それで、色々あって、アダムの魂はカヲル、リリスの魂はレイになる。あとは、ロンギヌスの槍を使って還元したアダムの肉体にカヲルの魂を入れることでアダムが完成し、地球はアダムのものとなって、生物は一度リセットされ、やり直しになる予定。しかし、カヲルがアダムの体に戻ろうとしたら、それはリリスであった。どういうこと?となり、カヲルは、自分ではなく、やっぱりシンジくんに生きて欲しい、と路線変更する。それで、リリスの体に綾波レイが還る。これでリリス完成。地球はリリスのものとなって一度リセットされることに。人類はリリスとして統一され、全ての人間の魂もリリスのもとへ還る。と思いきや、シンジは、やっぱりこれまで通りがいい、と言い出す。それはユイの計算通りだった。世界はまたバラバラになって、記憶は消えて、人類の歴史をはじめからやり直すことに。人間以外の動物はどうなったのか?とか、なんか色々難しいことになっていて、整合性をとるのが難しいが、ちゃんと理解すれば、あー、そう解釈すれば良かったのか!と気づき、それまで勘違いしていたことを猛烈に恥ずかしいと思うようになる、ということで、エヴァファンはこじれていく。私の理解もまだ不十分。

5、新劇場版の世界観

庵野監督は全ての設定を考え直すことにした。まず、アダムはアダムスとなった。ミサトがセカンドインパクトの時に見たのは、旧劇では光の巨人アダムであったが、新劇では4つの光の巨人が現れ、槍も4本。使途の名前が天使ではなくなった。第3の使徒、のように数字で呼ぶように。天使設定はなくなった。つまり、残酷な天使のテーゼが意味をなくし、人間は悪魔という設定も半分くらいなくなった。破、でアスカの名字が惣流から式波に変化。これによって加治への偏執がなくなり、普通にシンジと仲良くなる。真希波マリが登場。マリはユイやゲンドウと同級生。立場はフリー。ユイの計画を特別に知らされていて、それによって、誰よりも情報通であり、行動力も人類最高。裏コードビースト、など、ユーロネルフの仕込んだ裏技にも詳しい。年代が中年世代なので、歌う歌や使う用語が古いが、これはアイデンティティとしてわざとやっている模様。加治と裏で手を結んでおり、利害が一致している。加治は人間を含めたあらゆる生き物を救いたい。マリは人間を救うユイの計画を成功させようと一人で実現に向けて動いている。なので、利用出来るもの全てを利用し、あらゆる人達に利用される。基本的に無敗だが、最強の拒絶タイプの使徒に惨敗。終わったかと思ったら、シンジが覚醒。過去作では初号機は暴走しか出来なかったが、覚醒というモードが新設定された。暴走とは、初号機のみにある機能で、内部電源が切れているのに勝手に動くこと。これは、ユイがケモノ程度の知能で初号機の中にいて、シンジがピンチになって、お母さん!と助けを求めると、うちの息子になにしてくれてんだ!と怒り狂う母の力。これがエヴァの暴走。エヴァのシンクロは基本的にエヴァに取り込まれた母親と搭乗する子どものシンクロ。二号機にはアスカの母親がいる。と思わせておいて、新劇ではオリジナルアスカ。惣流?旧劇ではアスカの母はユイのように取り込まれなかった代わりに自我が不安定になって自殺をしてしまったが、新劇ではユイと同じく取り込まれている。 マリはなぜか二号機も動かせる。覚醒は、搭乗者が自らの意思でエヴァを支配する。これにより最強のATフィールドを発生させる。破では、使徒に取り込まれた綾波レイを助けて取り込んでしまった為に、リリスベースの肉体である初号機と、リリスの魂が融合、インパクトが成立し、ガフの扉が開いてしまう。これは、初号機が新たな生命のベースになったということ。人間のATフィールドは全て失われ、魂はガフの部屋に還り、初号機をベースにした新たな生き物に宿る。サードインパクト。それはMark6に乗るカヲルの放ったカシウスの槍で中断された。カシウスの槍は、生きる意思に満ちた状態のロンギヌスの槍で、力を使い果たすとロンギヌスの槍となる。そこで破が終わり。続きのQはそれから14年後として始まる。
では、それまでの14年間に何があったのか。まず、ネルフはニアサードインパクトの責任を追及され凍結、全員国連軍に監禁される。旧劇ではスタッフは皆惨殺されたが、ネルフに動かせるエヴァがないので、穏便に済んだ模様。ゲンドウと冬月は行方をくらませ、マリや加治は潜伏。ネルフ司令はカヲルに。カヲルは綾波シリーズを使ってアダムを使った人類保管計画へ。アヤナミシリーズはゼーレが作った。ダミープラグに使われるのはカヲルシリーズ?。式波シリーズもある。コピー作り放題。で、ここからはかなり考察しないといけなくて、難しいので、間違えてしまうから沼なんだけど、アダムスの器はアダムベースのエヴァなのでパターン青。そこにアヤナミシリーズが乗る。なぜ操縦出来るのか。ちょっと違うかも。綾波レイがゼロ号機を操縦出来るのはリリスベースだから。アダムベースのエヴァをアヤナミシリーズは操縦出来ない。なら、アダムベースに使われるダミープラグはカヲルベースか。リリスベースのエヴァは◯号機と呼ぶ。インフィニティは初号機をベースにした新たな生命で、中断しているインパクトが完了すれば全ての生き物はインフィニティになる。ゼーレはアヤナミシリーズを使って凍結中の初号機を回収し宇宙に放つ。地球外にあればインパクトの続きは起こらない。次に、アダムベースのインパクトを起こそうとする。その為のMark9。ネーメジスはMark4。自律型のエヴァ。パターン青なのでアダムベース?うろ覚えになってきた。何かがあって、リリスが完成、インフィニティがネルフ本部に集まってくる。セントラルドグマを埋め尽くしたタイミングで、誰かがアヤナミ化したリリスの首を落とした。ゼーレによる国連軍が攻めてきたので、初号機から槍を抜いてサードインパクトの続きを発生させる。そのときに、LCL化しない結界を作る技術が使われた。結界内にいない全員をインフィニティ化させて全滅させる。これにより全てのインフィニティの首が落ちて、しゃれこうべが底にたまった。そのとき、世界のコア化が進んで、みんなのATフィールドが消えたりした。Qでは、それが全部シンジのせいになっていたが、それは誤解だった。誰かが槍を抜いてサードインパクトの続きを起こし、すぐにまた中断させた。これにより世界中がコア化してしまい、人類のほとんどがインフィニティになってしまった。シリーズは強いATフィールドがあって、コア化した世界でもLCL化せずに存在出来るらしい。色々あって、加治とマリでネルフ関係者を救出し、ヴィレ、を設立。宇宙にある初号機の回収をすることに。その少し前に、加治の説得でカヲルがゼーレを裏切り、そのタイミングでゲンドウと冬月が帰還、ゲンドウはネルフを乗っ取る。ネルフを脱出した2人はそのままゼーレの本体を手に入れたのだったか。そのあと、ゼーレの電源を落とす。リリスの槍とアダムの槍が刺さっているので、2つの魂で抜かなければならなくなり、2人乗りのエヴァ13号機が建造される。しかし、なぜかカシウスの槍がロンギヌスの形態になっている。カヲルはゲンドウに騙されていたと察する。ゲンドウはネブカドネザルの鍵を持っている。ネブカドネザルの鍵はエヴァ7号機、らしい。これを埋め込むと使徒化する、のだったか。このあたりはまだ理解が足りてない。

6、福島の原発事故からの日本

ナウシカは3月11日に公開された、王蟲の群れが襲ってくる、という自然の猛威、津波を彷彿とした映画であった。まるで予言めいているが、その弟子である庵野監督も東日本大震災には強い執着を示している。ウルトラマンの円谷プロが福島にあることも関係してくるが、ゴジラは核で動く化物で、国を恨む科学者が自らを遺伝子操作して変身、妻を殺された恨みの化身となったもの。その恨みはなぜか東京の都心部に向けられる。核の報復。原発事故で不幸になった人達の恨みを叫ぶように口から火を放ち、街を破壊し、首相を殺し、日本を滅亡させようとして暴れる。それを、人々が力を合わせて、終息させる、という、福島原発を冷却するのと全く同じ解決方法で終わらせた。それを、普通に見たらただの怪獣映画のようにして、エンターテイメントとして売った。これが大ヒット。高く評価され、人々に受け入れられたことにより、庵野監督は次に自分の作るべき作品の方向性を決めたのだろう。シン・エヴァでも、絶望的な状況下での日本の建て直しを描いている。最初の敵は発電機。これは東京電力としか思えない。倒したタイムは残り11.03秒と、311の逆であった。

7、シンジは神児

旧劇では、シンジは心の弱い少年で、逃げちゃダメだ、と自分にいいきかせ、頑張って、少し上手くいって、カヲルに出会って、親友が出来たと思ったら自分で殺してしまい、そのショックから立ち直れず、エヴァ初号機に無理やり乗せられたら、アスカのひどい死に様をみたり、エヴァシリーズに貼り付けにされて儀式が始まり、巨大なレイを見て精神が崩壊。その結果、人類保管計画が発動、全人類が溶けたんだけど、結局シンジは元通りを願い、世界はシンジとアスカを残して全てやり直しになる。というめちゃくちゃな話。
テレビアニメでは、おめでとう、と言われ、ありがとう、で終わる。これは出産のメタファーで、母にさようなら、そして全てのチルドレンに、おめでとう、は、ハッピーバースデーを意味していた。つまり、アダムやリリスを星に着床する精子に見立て、全ての生き物はそうやってこの世界に生まれてきた、という、ミクロの世界の壮大な擬人化であった。シンジとは神の児、選ばれたキリストのような存在にみせかけた悪魔の子で、その正体は忌み子だったわけだけど、新劇では、まさしく神童として描かれる。

8、残された謎

マリは結局何者なのか。
マリがアスカを姫と呼ぶ理由(エヴァ2号機に取り込まれているのがアスカの母ではなく、アスカのオリジナルだから。オリジナルアスカを女王として、コピーは姫となる)。
マリはなぜ2号、5号、8号と乗れるのか(マリもゼーレの研究者としてエントリーしている。全てのエヴァはマリの肉体?アダムでもリリスでもない使徒?それとも神か。マリアとは?)。
ゼーレの魂を操る仕組みはどうなっているのか。
シリーズには誰の魂が宿るのか。
マイナス宇宙。
みんな助かったのか。
アダムやリリスを作った神の正体。
ブンダーの作り方。
エヴァ13号機はゲンドウと冬月だけで作ったの?

9、アニメ史の最高峰、その頂

個人的に、新劇は、日本アニメの最高峰に上り詰めた、と感じた。面白いアニメはたくさんあるが、アニメの歴史を引き継いだ作品はそれほどない。歴史を引き継ぐというのは、それまでの新しさを古くして、もう一歩先に進むこと。具体的には、過去の作品に止めをさすこと。劇中劇であったことは、ありそうでない、難しい表現。ナウシカの生きねばの答えにもなる、これからの日本人はどう生きるべきか、を具体的に描いたことも過去に無くはないが表現が新しい。映像のクオリティも新しい。ヤマト作戦で監督がやりたかった宇宙戦艦ヤマトをとうとうやったこと、エヴァの戦闘を特撮であったとばらしたこと、それら、自分のやりたいことをやる、ただそれだけの原点に帰ったことも、一周回って新しい。これらの新しさ、は言葉ではなかなか説明しきれないが、日本アニメの歴史はここでひとつの終着をみたのかもしれないと、それだけの高みをみせられたような気がした。書き足りないので、あとで書き足す。

10、生命の明日と、宇宙

人類が長く取り組んできた哲学的な問いかけ。その最先端が、シン・エヴァであっただろう。つまり、生命は何を目指して生きるか、この宇宙はどういった構造なのか。それを、リアルとイマジナリー、プラス宇宙とマイナス宇宙と表現して見せた。破でシンジがレイを助けに入った場所は、イマジナリーの宇宙であったと説明がつくようになった。これは言葉では説明しきれないものがある。映像でなければ認識出来ないことであって、要するに、アニメが哲学の最先端に到達する唯一の手段である、と示した形になっていた。それをこうして言葉で説明しようとしているのだから、無理のある話であるが、つまり、目で見て、空間をイメージして、直感的に理解することの必要性を示していた。レイが土や水に触れて学んだことは哲学の初歩の初歩であり、そして到達した答えはかなり悟りに近いものであっただろう。あんな短時間でも人は悟りに到達出来るのか。学びは時間の問題ではなく、イメージの強さの問題。強烈なイメージが可能であれば、年齢を重ねる必要性も、多くの経験も、省ける。費やす時間は絶対的に決まっているわけではない。語りかけること、対話すること、文字を読むこと、その全てはイメージする為の準備でしかなく、イメージ出来れば答えにたどり着ける。そして、イメージさせるには、イメージしたものをそのまま表現するしかなく、それはアニメでしか出来ない。漫画でもいいが、それでは動きは伝わらないだろう。この世界は動きで出来ている。その動きは時間の中にある。時間は認識によって生じる。認識は情報と感性によって生み出される。その認識そのものの世界にエヴァは突き進む。そして、物理的な技術により想像の世界に具体的な干渉を起こす。これはあまりにも荒唐無稽だが、アニメを見て感動したことのある人なら、その意味を直感的に理解出来たのではなかろうか。技術的に、具体的に、精神に直接干渉された、と。

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