攻殻機動隊2

まずは、年表のリンクを貼ってみる。

プロダクションIG、というアニメ会社が攻殻機動隊のアニメを製作した。その会社が東のエデンというアニメも作っていて、そのアニメは少女漫画タッチでコミカルなストーリー展開でありながら、攻殻機動隊の前日譚としても少し繋がりが示唆されていた。というわけで、年表はそのあたりがごちゃっとまざっている。

そもそも、物語上では詳しく描かれていないが、世界観としては、ソ連が崩壊しておらず、第三次世界大戦が勃発し、アメリカがソ連を撃退するも、東京に核が落とされたことを発端に、世界は再び大戦に突入した、というのが裏設定としてある。ドンパチが全く終わっていない世界。
日本は、またもや核被爆国となってしまった。しかし、アジアの奇跡と呼ばれる放射能除去技術を発明したことで復活を遂げた。

原作の攻殻機動隊では、これだけセンセーショナルな事柄を些末なことのように通り過ぎて、より高度な話を主題に掲げていた。つまり、機械との融合によって電子化した人の精神がついに神の領域の扉を開く、とでもいうような、ムーンショット計画のような話を主軸を置いた。

「企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても、国家や民族が消えてなくなる程、情報化されていない近未来」

これが、漫画版、攻殻機動隊の序文。

押井監督も、ゴーストインザシェルの序文にそれを置いている。

ようするに、いずれは国家や民族が消えますよ、という話である。
人類が人類として形を保っていた最後の時代を描く。
かなり終末的である。

押井監督は、機械に精神が宿る、というテーマで攻殻機動隊を捉え、ゴーストインザシェル、と名付けた。人が人であることの根拠足りえるもの、魂とは何か、自己とは、全身が機械で出来ていて、脳すらデジタル信号で解析出来て、思い出も捏造が可能で、何をもって自分が自分であると信じられるのか。
…わからない。
けど、それを、考えぬくことで何とかクリアしようと試みている。「われ思うゆえにわれあり」の実践である。人の心と理性の境界線をさぐり、その線引きを見出すとき、その者の精神は、瞬間的にではあるが、自己であると言えるのではないか、というような。
集中力によって、常に今を捉え続ける者だけが、現実の第一線に立てる。
刹那的で息苦しくはあるが、

「そう囁くのよ、私のゴーストが」

デジタル化された電気信号の中に本物の心があることを、理性によって見出そうという。

つづく

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