私と毒親と、私が毒親

私の親はいわゆる毒親です。そして私も、毒親だと思うのです。
このnoteは、自分への覚書・警告と共に同じように苦しんでいる人はいないだろうか、という思いから書くことにしました。

始めに気づいたのは、私が子を持って一年ほど経ったころです。わが子へ言葉かけをしていてふと「この言葉、私も親に言われたな」と思ったのです。そして考えました。それもそのはずでしょうと。そのやり方を身をもって知っているのだから自ずと同じ選択をしてしまう。
一度気づいてしまうと、あとは芋づる式でした。あれもこれも、親と同じようなことをしている。そしてその度に、わが子には絶対に自分がされて嫌だったことはしたくない、という気持ちが固まります。

冒頭で私の親は毒親だと書きましたが、「毒親」という言葉を知ったのは、子を持ってから2年ほど経った頃です。分かりやすい暴力は記憶にありませんが、私は親からの影響を色濃く受けているなと自覚しています。保育園のころ、何度か外にある物置に閉じ込められました。理由までは覚えていませんが、おそらく私がなにか悪いことをしたのでしょう。「おかあさん、だして!くらいよ!こわい!カマキリがいるよー!」と泣きながら戸を叩いたことをよく覚えています。母は機嫌が悪くなると戸を勢いよく閉めたり車の運転が荒くなったりと、口で不満を漏らすことはないものの態度で回りに訴えます。それが始まると「いい子にしなくちゃいけないんだ」「今しゃべっちゃだめだ」と内心ビクビクしていました。母が不機嫌になる原因は、私の記憶では父親が原因でした。
私は父が嫌いです。私が小さいころ、母と父は毎日喧嘩をしていました。父は威張っていて、わがままで、子供ながらに「自分に甘くて他人に厳しい人」だと思っていました。ごはんの時は絶対に自分では動きません。ごはんをよそうのも茶碗を「ん」と母の方へ差し出すだけ。冷蔵庫に何か取りに行くのも母。そのたびに何度も母は「ちょっとは自分でしてよ!」と怒っていました。それに対して父も「そんなことで怒鳴るな!」と怒鳴っていました。私は三人兄弟の一番上だったのですが、毎日夕食の時に喧嘩をしだす親とそれを見て泣き出す妹と弟を前に「どうしてお父さんは自分でしないんだろう」「お父さんにいじめられるお母さんがかわいそう」「妹たちも泣いてしまって、私がしっかりしなくちゃ」「私がお母さんを守らなくちゃ」と思っていました。泣き出す妹たち、怒鳴りあう両親を前に「テレビおもしろーい」などと言ってその場を和ませることで必死でした。私が笑っていなければ。と。父は母をかなり束縛していて、母はいつも父に怒られないようにしていました。それでも負けるような母ではなかったのですが、母のイライラやストレスはひしひしと伝わってきます。そのたびになぜか私が罪悪感を感じて体が縮こまる気がしていました。また、父は子供たちにも厳しかった。部屋が片付いていないと「全部捨てるぞ!」と怒鳴るのですが、中には父親の荷物もあって「どうしてお父さんは片づけなくてもいいんだろう?」と理不尽に思っていました。
それでも夏休みになるとどこかへ泊りに行ったり、ゲームの話で家族で盛り上がったり、面白いテレビをしているとみんなで笑いあったり。いい時もあれば悪い時もある。それって普通だよね。時々しんどくなるけど、でもそういうものだよね。だけど、毎晩私は布団に入って泣くのです。私って本当は愛されていないんだって。笑いあったりしてるのに…私がおかしいんだって、思っていました。

毒親という言葉を知ってからも、自分の親に対するコンプレックスが高まるだけで、解決することが出来ずにいました。それどころか、私も子に「かたづけなさい!」と怒るのです。イライラした時は無言で運転が荒くなります。そして、あとから自己嫌悪。あんなに親にされて嫌だったことをしてしまっている。片づけを子供に覚えさせるのは大切なことだけど、なにも怒る必要はないのに。私もぐちゃぐちゃになるまで放置した責任がある。一緒に片づけをすれば、子も覚える気がするのに。
だけど、それがうまく出来ない。かみ合わないパズルを無理やりはめ込むみたいに、無理が出る。
私は子に自然に笑えてるんだろうか?今わたしはイライラしていて、決してこの子のせいじゃないのに、この子に無言で「気をつかえ」って思っている。育児書やネットで読んだ『こうすれば育児は上手くいく』という方法を試してみても定着しない。ふとして時に親と同じことをしている。
ずっと自己嫌悪でした。

なりたい自分と、なれる自分がバラバラで引き裂かれてしまう。それでも大人として、親として、私は考えて、変えていかなければいけないし、変えていきたい。そういう家庭で育って、それしかやり方を知らなかったとしても、考えて変えていくんだ。

私も毒親かもしれない。いや、きっと毒親なんだろう。

しかし、それに気づいた時、絶望感と同時にとても困惑しました。
「毒親の元で育った私」と「毒親かもしれない私」では解決方法が全く違ってくるんじゃないかと。
毒親の元で育った私へのアプローチは、毒親という事実を認め向き合い、親からの心の自立、自分との対話だと思います。違うかもしれなけれど。
じゃあ、毒親かもしれない私へのアプローチってどうすればいいんだろう?子との向き合い方って…………どれが正解なの?

ところで、最近、昔の両親たちについて妹と話をしたのですが、私との認識の違いに驚きました。妹は自分たち家族は仲がいいほうだという認識だったのです。妹は外の物置に閉じ込められたこともないし、夕飯時の両親の喧嘩も覚えていなかったのです。だから、両親が喧嘩しているときに気を使わなくちゃと思ったこともない。おそらく毎晩枕を濡らして「私は愛されてない」なんて泣いたこともないんだろうな。正直うらやましかった。私が無意識に抱いてきた罪悪感や今の私を苦しめる問題には、妹は直面していない。妹には妹の問題があるのだろうけど、それでも妹は「仲のいい家族」を知っている。

毒親かもしれない自分への対話はとても困難を極めそうだ。毒親から育った自分問題から抜け出せれば、そちらの問題ともうまく向き合えるんだろうか。正解のないパズルを暗闇で解いていくのはかなり大変そうだ。そして、その間にわが子が犠牲になってしまうんじゃないかと思うと怖くて仕方がない。
世の中に出回っている毒親の本を読み漁ればどこかにヒントが書いてあるだろうか?「自分が毒親かもしれない、そこから抜け出す方法」なんかが書いてある本があればぜひ教えていただきたい。そして同じように苦しんでいる人はいないだろうか。

でもきっと、自分が毒親だということに気づけただけでもすごい進歩なんだと思う。問題が見つかれば解いていけばいい。長い道のりになるかもしれないけど、いい落としどころが見つかればいいな。そうなったらまた、忘れないようにnoteに書いておこう。私のために。

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