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コミュニティの一員になるまで

はじめまして! ”一応”COCOAのあいかです。

あきらさん、しょういちさん、まおちゃんに引き続き、
佐渡島さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE』を読んでコミュニティについて考えたことを書いてみました。

私は最近COCOAに関わり始めた新参者なので、新規コミュニティ参加者として、関わり始めてから現在まで感じたことを、佐渡島さんの語るコミュニティ論をもとに考察しまとめてみました。

よろしくお願いします!


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私はCOCOAに関わり始めてまだ日が浅い。
「あなたはCOCOAのメンバーなの?」と聞かれたら、「うん、一応」とか、「たぶん」と答えるだろう。

この回答の心理として、まだ自分はそこまでCOCOAのことを知らないし、メンバーと名乗れるほどCOCOAに貢献していないということがあげられる。つまり誰かにCOCOAのことを詳しく説明できないし、そこで自分が何をしているのか、どんな役割をしているかわからないのだ。

それでもわからないなりにCOCOAと関わっていると、COCOA自体も新たなコミュニティとして試行錯誤しているのだと分かった。
佐渡島さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE』を読んで、私から見たCOCOAのイメージとコミュニティについて考えてみた。

まずCOCOAのイメージについてだが、最近まで私はCOCOAを“とても意識が高い人たちの集まり”もしくは“スペックの高い人の集まり”だと思っていた。
言葉の響きからして良い方にも悪い方にもとれると思うがまさにその通り。
私はCOCOAの人たちをよくわからないけど能力が高くて、すさまじい行動力があって、とりあえず“スゴイ人達”だと思っていた。

それと同時に、こんな人たちの中でやっていけるだろうかとか、役に立てなかったらどうしようと自分を卑下していた。
関わり始める前から役に立とうだなんておこがましいにもほどがあるが、言い換えればCOCOAというコミュニティにおいての自分の居場所がイメージできなかったのである。

佐渡島さんは本書で何度もコミュニティ内における“安心・安全”を強調していた。
そして安心できない、つまり不安を感じる状態はイメージできないことから生じるとも言っていた。私の状況と良くあてはまると思う。
ではなぜイメージできないのだろか。どうしたらイメージと安心・安全を手に入れられるのだろうか。それについて掘り下げてゆくと3つの要因が見えてきた。

1つ目は“知らないこと”だ。COCOAを構成するメンバー、取り組んでいるプロジェクト、関わりのある外部のコミュニティ、使用しているアプリなど、ほとんどのことを私は知らなかった。
だからグループLineに入っていてもトークで使用される単語が、人なのかアプリなのか、COCOAの内部なのか外部なのか理解できなかった。
その都度聞けばいいのだろうが、会話を中断させるのも気が引ける。そもそもLineグループのメンバー全員と面識がないので発言すること自体が難しいのだ。

これについては簡単に解決できる。知ればよいのだ。単語は意味を理解すればよいから簡単だが、人を知るというのは少し難しい。
佐渡島さんも自己紹介の重要性を語っていたが、コミュニティは人でできている。どのような人で構成されたコミュニティなのかを知ることはすなわちそのコミュニティそのものを知ることである。
そしてその先にはメンバー個人との信頼関係の構築がある。それらを通して初めてCOCOAというコミュニティ全体のイメージが確立できる。

2つ目は“レベルの違い”である。これについては私個人の見解だ。最初にも述べた通り、私はCOCOAの人たちを“スゴイ人たち”だと思っていた(実際スゴイ人たちである)。
何がどうスゴイかを簡単に言えば、自分が知らないことをたくさん知っていて、自分ができないことができる(ように見える)。自分の能力との差が大きい(ように感じる)。
どのようなコミュニティにおいても、既存メンバーと新規メンバーの能力の差は存在するし、個人の力量の差もあるだろう。

ではコミュニティにおいてこれのどこが問題なのか。これを感じると自己肯定感が弱まる。佐渡島さんは“自己肯定感が高まるとモチベーションが高まる”と言っていたが、この状況では逆のことが起こる。
ちょっと大げさに言うと、自分にできることはないのかもしれない、向いていないのかもしれない、と思い始める。そして参加から足が遠のく。

だがこの原因は1つ目が解決すれば自ずと解決するものでもある。知らないから“ように見える”のであって、知ってしまえばCOCOAのメンバーも順を追ってステップアップ、スキルアップしてきたことが分かるからだ。その過程が分かれば自分もその道を歩むのだろうとイメージが可能になる。そして実際にプロジェクトなどを通して自身の能力や向き不向きなどを見出していくことになる。1つ目の“知ること”がCOCOA全体のイメージの構築であるなら、この過程は私個人がCOCOAの中でどう位置づくのかという、全体の中の個人のイメージ構築であるかもしれない。

3つめは“認識のズレ、イメージのギャップ”である。私は上記の2点をCOCOAのメンバーにぶつけてみた。すると意外にも、COCOAメンバーはこの2つに気が付いていなかったのである。特に2つ目に関しては全く自覚がなく、拍子抜けした。傍から見れば、私が“勝手にそう感じていただけ”だったのだ。しかしここが重要である。このCOCOAと私個人の認識の違いが、ギャップとなって存在していたのである。コミュニティ側と個人の認識にズレがあるとき、双方のイメージにもズレが生じる。それは違和感となって双方に感じられ、ズレを直さない限り解決しない。そして何より難しいのはこのズレに気が付くことだ。ギャップが大きくなる前に修正できるような環境を作る必要がある。

以上3つが、私がCOCOAというコミュニティに関わり始めて感じていることであり、取り組むべきだと考えていることである。本書を通じて客観的に自分の状況とCOCOAを観察すると、新しいコミュニティの概念としてのCOCOAのあり方と、コミュニティに関わろうとする個人としての私の状況は佐渡島さんの言う論理に良くあてはまる。コミュニティ全体を知り、全体の中の己を知り、全体と個人のズレを修正する。この過程を佐渡島さんの言うところの“なめらかさ”をもって進められるコミュニティであれば、安心・安全を確保した上で、自然と人が集まりコミュニティの一部として、熱狂を共有できるのかもしれない。


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レポートみたいな文章をながながと失礼いたしました。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

執筆 勝間田 愛華

#コミュニティを考える

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