母、来阪から帰途
私は今、ただただ目の前のパソコンを開いてこのnoteの記事を書いている。
2泊3日、静岡から母が来阪し大阪を一緒に観光した。初めての大阪を、馴染みのない都会を楽しみにしていた母。着いた直後からお土産のことを考えワクワクする母。静岡から離れ家事や仕事を忘れ羽を伸ばし無邪気にはしゃぐ母。そんな母に、はるばる大阪まで来てくれた母に楽しんで欲しくて雨だろうがなんだろうが知っている限りの大阪を案内しようと頭を回転させた私。
しかし、母は勝手に楽しんでくれていた。
目の前の独特な看板や、たこ焼きの良い匂い、すれ違うおしゃれな人々。視覚も嗅覚も聴覚もあらゆるアンテナが張っていた。自分もこの靴が欲しい!と、NIKE エアリフトをお揃いで買い、早くたこ焼き食べたいと目を輝かせ、商店街を歩けばここの路地が楽しそう、と私に教えてくれる。
それがこの写真たち。
頭ではなくて、肌で感覚で楽しむ母。
そして、頭ばかりを使っていた自分に気づく。
だんだんと頭がクリアになっていくことを感じた頃にはもう、お別れの時間だった。
大量のお土産を抱え、新幹線の改札に向かう。
ありがとうとさよならをして、後姿を見守っていると、両手にお土産を抱えているのに、またお土産屋さんに入ろうとする母。
ちらっとこっちを見て照れくさそうにバイバイと手を振った。
急に1人ぼっちになった私。ガヤガヤする構内もなんだか寂しい場所に思えてくる。
寂しさの涙を拭いては一緒に帰りたいと心の声が聞こえてくる。
今はできない、そうするためにどうするか、頭の中での計算に落ちそうな涙は引いていく。
結局、私は今も冷静と情熱の間でこの記事を書いている。
もうすぐ母が地元の駅に着く頃だろう。
母の愛情でいっぱいになった冷蔵庫を開いてはまた温もりを感じて涙する。
やっぱり今日は心に向き合って休もうか。