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最高の教師

トレーニングを自分で行うことは好きだけど、人に教えることはとても苦であった。
この人は本当に痩せたいのか、何を望んでいるのか、私が伝えたいことは相手に届いているのか。
私がとやかく言ったって、その人自身が行動しなければなのも変わらない。

当時の私は、とてもドライで相手をジャッジしていたように思う。

教えることは私に向いていない。
人に興味を持てない私は、この世界ではやっていけない。

こうしたい、こういう先生でありたい、けどその力は私にはないし、そんな権利はないのだ、と考えていた。

”馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない”

つまりはこの言葉に尽きる。

そんなある日、以下の書き込みが目に入る。

普通の教師は「解き方」を教え、いい教師は「考え方」を教える。
そして、最高の教師は「楽しみ方」を教える。
(メンタリストDaiGo)

当時、私は楽しんでいただろうか。
こういう風にやる、やり方やルールに縛られていなかったか。
考え方を強要して余白を潰してしまい、自分自身も窮屈に感じたのだ。

この考え方は教師や教える立場だけではないだろう。
何かを伝える側の人間は「楽しみ方」を伝える意識を持つ。
楽しいは最強である。
自分のワクワクの振動が相手も震わせてしまうくらい、楽しいの伝染をしていきたい。