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ブライトンマリーナのウナギ

ホームステイの庭に温室があり、その外に大きな石製の防火水槽がある。わたしの大好きなペット、ウナギちゃんの棲家である。ウナギちゃんとのご縁はイギリス有数の保養地、ブライトンのヨットバーバーを散歩している時に出会ったマリーンスポーツ風の雰囲気のおじさん。「ハロー、お嬢ちゃん。これあげる」とプラスチックバッグに入ったものを手渡した。受けったものは、冷たくて、ぐにゅぐにゅ動いている。「ええっ、なにこれ?」「はっはっは、ぼくが釣った3匹のウナギだよ。怖くないよ。持って帰って食べられるよ、ほら、ウナギ料理が中国料理にあるでしょ!」「おじさん、わたしは日本人なの!!」思わず大声を出してしまった。「はっはっは、あっそうか。ゴメン、ゴメン」といって去っていった。わたしは手渡されたうなぎの袋をもって家に帰った。

日課は、朝うなぎちゃんにGood Morning、         夜はGood nightが日課に

下宿の叔母さんはわたしがもらってきたものを見ても、反対はしなかった。どうしていいかわからず、まず叔母さんに見せた。アイリッシュのおばさんは17歳で結婚してインドに行き、長く住んだ。そのせいか、普通のイギリス人のようにむやみに殺生するのではなく、むしろ自然派だった。だからウナギを見ても驚かず、温室の横にあるコンクリートの防火水槽を指さして、あの中で飼いなさい、と奨めてくれた。この家はインドで夫を早く失くした未亡人の叔母さんと溺愛する息子の2人暮らし。そこに叔母さんの友達、未婚のおばあちゃんと5人の学生がホームステイしている。そんな環境でわたしは成り行きで3匹のうなぎをペットにした。名前をつけようかとも思ったが、どうせ見分けられないので全員をうなぎちゃんと呼んだ。

翌日から日課が変わった。朝起きると一番にウナギちゃんにGood Morningの挨拶、夜は寝る前にGood Nightと言って一日が終わる。学校に行くとすぐに生物の先生にうなぎのことを聞いた。自宅にうなぎを買い始めたと言うと、Mr.Winstonは目をぐるぐる回し、「まじ?」と言いたそうな顔をしながら、大学の研究所に問い合わせてうなぎを育てる環境を聞いてくれた。わかったことは、うなぎは貪欲で食べられるものは何でも食べるという情報だった。うなぎのエサは小魚、昆虫、貝類、エビ、カニ、養殖では鮮魚のすり身、ミミズというが、そんな素材は手に入れにくいので、出入りの肉屋に行って、肉の内蔵や細かな肉の破片、ミンチ肉をもらってきた。ほかにもランチのフィッシュ&チップスを持ち帰って与えた。要するに手に入るもので賄っていたが、人間と違ってウナギちゃんは文句を言うでもなく、自然に受け止めているように見えた。学校が休みの週末は、月に1、2回はウナギちゃんの水槽を洗って水を入れ替えた。手間のかからないペットでも、徐々に情が移ってくる。水槽の掃除をするとき、ウナギちゃんを呼ぶと、住んでいる底からまっすぐ上がってきてわたしの手をつつく。それなりになついていることを実感して、ますます愛しくなった。

うなぎちゃんの防火水槽に似たタイプ

もらった時ウナギちゃんは、確かわたしが両手を横に並べたぐらいのサイズだったのに、水槽の掃除の時にウナギちゃんをつかむと、その2倍はあるように思えた。その成長の速さに驚いた。ある日、水槽の掃除をする時に、一番小さかったウナギちゃんが見つからない。水槽の栓はちゃん閉まっていることは、水が減ってないことからも自信があった。冗談のようだが、あることに気づいた。えっ、まさかあの大きい子がお腹へって食べたとか…。このミステリーは解けなかったが、それ以外考えられない。それはエサが足りないのかもと思い、量を増やした。しばらくして、冬の寒い時期、上にうっすら氷が張ってうなぎちゃんが死んでないか心配になり、大きい声で「うなぎちゃん!」と呼んだ。あの大きい子が手をつんつんする。あれ、もう1匹はと思ったが、いない。そういえば冬になって、大きい子はますます巨大になっていた。また、食べられたのかと悲しくなったが、それが自然のなりゆきなのだろう。冬を越すために普段より多くの食料が必要なんだろうか。しかし、今は一匹だから、お腹が減っても食べるものがない。餓死させないよう、同じ分量の食料をあげ続けた。

悲しくつらい、ウナギちゃんとの別れ

2年後、別の町の大学に行くことが決まり、引っ越しすることになった。下宿のおばあさんは、ウナギちゃんを連れて引っ越すのかと聞くが、次の下宿に防火水槽があると思えず、言葉につまった。もちろん、わたしはうなぎちゃんと別れたくなかった。わたしの気持ちを察して、おばさんはいいことを教えてくれた。近くに小さな水族館があり、そこで相談してはどうかというのだ。イルカのショーもある水族館でわたしも行ったことがある。それが一番いいように思えて、翌日、水族館に電話した。電話口の人は担当ではないので、折り返し担当に連絡させると言われた。午後に電話があり、いろいろと質問されたがが、実際は状態を見ないとわからないので連れてきてください、と言って電話を切った。翌日、うなぎちゃんを容器に入れて水族館に行き、その人に面談した。「わー、巨大なうなぎですねー」と笑顔で言われたが、わたしは自分の子供のように「そうでしょう?手塩にかけて育ててきたんですよっ!」と言い切った。「わかりました。では、お預かりしましょう。こちらで飼育しますよ」と言って、書類をわたされ、サインして返した。その担当はにっこり微笑んで、手を差し伸べ、握手して別れた。

その夜、ウナギちゃんが退室した水槽は、元通りに水を張っておいた。夜になって2年間の習慣だった「Good Night」の挨拶をするうなぎちゃんはもういないと思うと悲しくて、今度はあの子が大きい魚に食われないかと心配になって眠れなかった。この2年でうなぎちゃんが教えてくれたことは、何事も自然のままに受け入れなさい、だと思う。わたしとうなぎちゃんの生活は終わったけど、いつまでも心にうなぎちゃんへの思いが生き続けている。


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