一番の後悔
27日におじいちゃんの最寄駅で、レストランに入って、そのままおじいちゃんの家の仏壇に手を合わせた。
仏壇には、写真が3つ。
ひいおばあちゃんの写真、そしておばあちゃんの写真が2枚。
一つは私が覚えているおばあちゃんの写真。
もう一つは、病気と闘っているおばあちゃんの写真。
後者の写真は、私の記憶に残るおばあちゃんとは違う顔をしている。
苦しかっただろう。
何度も逃げたかっただろう。
変わり果てたお祖母ちゃんの姿が、その戦いの壮絶さを物語っていた。
おばあちゃん、私は全くおばあちゃん孝行が出来なかった。
本当に本当にこんな孫でごめん。
ひだまりのようなお祖母ちゃんだった。
病気になってから気づいたおばあちゃんの大切さ。
おばあちゃんの愛。
大切なものは近くにある時には気づけない。
おばあちゃんに会いたい。
会って沢山の「大好きも、ありがとうも、ごめんね」も伝えたい。
一体いつになったら会えるのだろうか。
次会う時には、安らかな顔で迎えてくれるのだろう。
おばあちゃんは、もう私と会えることが残り少ないことを察してだろうか。
「あなたは優しい子だから。無理しなくていいのよ」
そう言ってくれた。
私はおばあちゃんの孫だ。
それが誇りだ。
おばあちゃん、私もおばあちゃんの誇りになれるように、
頑張って生きるよ。
だから、見ていてね。
おばあちゃんが天国から安心できるように、私は頑張る。
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