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愛する彼を亡くした絶望の淵にいたあの日の私へ



16年前の今日、最愛だった彼が
この世から旅立ちました。

難病の癌でした。

まだお互い20代の頃。

当時の私は彼以外との結婚は
考えられませんでした。

心友だけに打ち明けていた話。

まだスピリチュアルの感覚なんて
今ほど全然なかったけれど、
不思議なんだけれど
彼とは魂でつながっている、結ばれている
ただの彼氏彼女じゃ説明できない
そんな感覚でお付き合いしていました。

そんな感覚になるのは
私自身初めてのことで、
後にも先にも感じたことのない感覚でした。


私の一部っていうのかな…?
言葉にしたらそんな感覚。


そんな彼の訃報をきいたところで
当然、受け入れることなんて出来ないし

何言ってるの!?なんかの間違い!
人違いだよ!なんでそんなこと言うの!?

そんな言葉しか出て来ませんでした。


➖私の世界から色が消えた➖


本当に何もわからなくなりました。

自分がどこにいるのかも。
何をしているのかも。

レジでお会計をした時、
どれを出せば物が買えるのかさえ
わからなくなりました。

会社を長期で休むには
診断書が必要で
もう会社へは行かなくても良かったけど
上司に頼まれて
心療内科を受診しました。


生きる希望を失くした人間が
診察してもらったところで、

うつ病と診断されるのは当然の結果だなぁと

どこか他人事で、
上の空で先生と話してた記憶が
うっすらとあります。

話せるどころか、涙が溢れて
言葉にならなかったし。


彼の死をきいた日、
生まれて初めて
パニックになった。

息の吸い方も吐き方もわからなくなって、
意識が遠のいて行って、
国道を走行中、車を少し寄せて停めてしまった。

走れなくなった。

(今思うと事故を起こさなくて本当に良かったです)

そして、そこからしばらく

パニック障害というものも患った。


どんなに
食べられなくても、眠れなくても、

人間って涙が止まらないんだよ。

涙って枯れないんだ…と初めて知りました。

それくらい、来る日も来る日も
一日中泣いてた。


私の一部をもぎ取られてしまった感じでした。


本当に愛してた。



今でもね、丸の内北口に出ると
彼が車でお迎えに来てくれているような
そんな日々を思い出す。

オアゾでもよく待ち合わせしたな、とか。

イヤホン片方ずつして
想い出の歌聴きながら
何度も乗った京浜東北線。

地元近いのに、
東京で会う頻度の方が多くて
地元で会うと逆に不思議な感じだった。

どれだけ一緒にいても
ずっと毎瞬ときめいてたなぁ。


優しかった。
かっこよかった。
年下なのに大人だった。
大切にしてくれた。


20代の頃の私は
生きる意味が一番わからなくなってた時期で
自分の居場所はどこにもないと
本気で思ってた。
(今はもうわかります)


そんな私に、
生きる歓びも
居場所を感じさせてくれたのも
彼でした。


私の絶対的な味方でいてくれた人。

なんでも聴いてくれた人。

励まし続けてくれた人。

私の良いところをいっぱい褒めてくれた人。

私のダメなところを受け入れて、
丁寧に教えてくれた人。



彼がこの世を旅立って、
生きる理由がわからなくなったし
彼のいないこの世界で
生きていくことなんて意味がない
と思いました。


それでも私は
死を選ぶことはしませんでした。


それは、
私のことを大切に想ってくれている
家族や友達に
私みたいな想いをさせたくない

それももちろんあったけれど、
そう思えたのはもう少し先の話で。


〜自分が死ぬとわかっていても、
最期まで弱音を吐かないで
生き抜いた彼の姿を知ったからでした。〜


御線香をあげさせてもらいに
実家に弔問に伺った時に
親御さんが教えて下さいました。


彼が最後の最期まで必死に生きた命、

私が簡単に死んではいけない。


死にたかった、
彼のところに行きたかった、
なんで一緒に連れて行ってくれなかったの!?
なんで私じゃなかったの!?


食べることも受けつけない、

睡眠薬なんて飲んでも眠れない、

仕事にも行けない、人にも会えない、誰にも会いたくない

部屋から出ることもできない、

全部どうでもいい、どうなったっていい。


廃人のように一日中
部屋のベッドで過ごしました。



それでも死ぬことだけは

それだけは

しないようにしました。


自分との約束。

彼との約束。


彼は、生前私にこんなことを話してくれました。


『もし、どっちかが先に死んじゃったらどうする?』

という私に


『オレはずっと樹利の幸せを見守ってるよ』

って。


今でも、なんであの時
そんなことを話したのか
自分でもよくわからない。


でも、この言葉のおかげで

私は生きることができました。


ちょっとジメジメした

こんな梅雨時の晴れた今日みたいな日だった。



私は今、

愛する夫と愛しい子供たちに愛され

幸せに生きています✨✨✨



どんなに絶望からでも、

幸せになれること

私は知っています。


それは私だけが特別じゃなくて、

誰にでもあてはまること。



どんな状態からだって

望む未来に行くことはできます。


誰でも、どこからでも、いつからでも。


どうか行き先を間違えないでね✨


〜あの日の私へ〜

今、真っ暗闇の中にいるよね。
誰からも何にも言われたくないよね。
誰も私の気持ちなんてわからないって塞ぎ込んでるよね。希望なんて見えないよね。

でもね、あなたのその選択があったから
今私は人生で一番幸せな時を過ごせているよ。

彼以外と結婚なんてもうしないって思ってるし、彼以上の人なんて現れるわけないって本気で思ってるよね?

でもね、まったくタイプは違うけど、私のことを受け止めて大事に想ってくれる人と一緒になって、私の一番の夢だったお母さんになることを一緒に叶えてくれているよ。

念願の子供たちにも逢えてるよ。

あの時なにもできなくても
ただ息をするだけ、と決めて、
あんなにも絶望の中
生きていてくれて本当に本当にありがとう。

あなたのおかげで
未来の私はずっと探し続けて来た
本物の愛をみつけられたよ✨✨✨

ありがとう。

結婚してからは、
お墓参りには行かなくなったけど
お墓の前の道路を通る時にはね
手を合わせているよ✨

今日は、彼に想いを馳せる日。

忘れないよ。

私にいろんな感情を教えてくれて
本当に本当にありがとう。

そんな彼に感謝して、
空を見上げます。


#命日
#想い出の地
#何でも叶う私になる願望実現セッション

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