「愛を選ぶ」とは良い人になることではない。私たちは日常的に傷ついている。
先日、大変幸運なことに、PNSE(悟り)系オカンこと、ネドじゅんさんとリアルにお会いする機会をいただいた。
その際に思考を消すより前に、とても大切なことを教わった。
それは「人からエネルギーを奪わない」と決意すること。
改めてこの記事を読み「人からエネルギーを奪わない。」を意識してみて気がついたことがある。
私たちは、想像以上に思っている以上に、日常的に傷ついている。
上の記事で言う「ぐはぁ」が常に常に、日常的に起こっていると言うこと。
それは例えば、学校の役員LINEで、「皆さん、次回の会議にはマスクをしてきてください」なんて、一見なんでもないメールが送られてきた時でも。
「ぐはぁ」が私の中で起こっている。
エネルギーを奪おう、なんて相手は一ミリも考えていないだろう。
私が勝手に傷ついているだけだ。
でも「ぐはぁ」は起こったのだ。自分の中でエネルギーが奪われ、傷ついたと感じている。
その証拠に、そのメールをもらった瞬間から、思考が凄い勢いで動き出す。
「私がマスクしていかなかったから、敢えてこんなメールしてきたのか?」
「私がマスクしない理由を伝えて、強制なら参加できない、とメールしようか?」
「副校長に電話して、事情を伝えた方が良いだろうか?」
「ここは大人しくマスクして何事も無かったように参加する?そんな事をしたら、この異常なマスク社会を肯定していることになりやしないか?」
「どうでも良いことにこんなにこだわって。。ただの意地っ張りじゃないか。。」
自己防衛、正当化、他者非難、自己批判、言い訳、理解してほしい、世界を正しい方向に変えなくては、、、。
思考が凄い勢いで働いて、戦いモードにアドレナリンが放出される。
オカンの記事のお陰で、私はこんな日常的なメールにも傷ついているのだ、と気づくことが出来た。
そこで、自己修復に入る。
「愛を選びます。私を癒してください。私の中から愛が満たされていきます。」愛を生きる脳システムへ。血液を必死で送る。
嫌われる恐れ、あきれられる恐れ、ダメなやつだと思われる恐れ。。。
色んな恐れがわいてくる。
それを見つめる。涙が溢れ出る。
これまでいかに、良い人に思われるために行動してきたかに気づく。
とにかくメールは返信する。
世間的な「愛ある行動」とは正反対の選択だとしても。
言い訳も説明もしない。ただ、自分の選択を伝えるだけ。
どの行動を選ぼうとも、思考はヤイヤイ言ってくる。
「それは愛じゃないのでは?」「間違った選択では?」「逃げじゃないか!」
思考の声ではなく、ひたすら自分の中の安らぎと繋がろうと意識する。
自己修復だ。自己修復が必要なんだ。
私たちは傷ついている。
幸せなそう人を見ただけでも、勝手に傷ついたりする。
目に入るもの、耳に聞こえてくるもの、あらゆるものにいつもいつもいつも、私たちは傷ついている。
まずはその事に気づけた。
自分の中にブラックホールがある事に。
そして無限の愛のエネルギーの源泉もある事に!
今は愛を選ぶ時だ。
そして自分の中から無限に湧き出る愛のエネルギーでブラックホールを満たすんだ。
それが「良い人」とは正反対の行動に思われたとしても。
愛から行動を起こす私になる為に。
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