多様性を認め合う事と真実の自分を生きる事。
ワクチンについて夫との意見の相違に関して、宗教と同じで、話をしないのが一番では?と言うご指摘を複数いただきました。
宗教と政治の話はしない。がマナー。と思っている人が未だ多い。
私自身、夫とワクチンについて話さない事を選択し、結果それではダメなんだ、と痛感した。
多様性を認め合うは、関わらない、ではない。
多様性を認め合おう。みたいなワードが飛び交う昨今。
認め合う、は関わらない。ではない。
自分と違う人は腫れ物に触るように、その点は触れない。
これが本当に、多様性を認め合う、って事なのか?
日本は特に、自分と違う人たちを受け入れる、と言う事に慣れていないのかもしれない。
だからこそ簡単に、多様性を受け入れるのは大事な事だよね。などと言えてしまうのだと思う。
受け入れているつもりでそれは関わらない、になっていないか?
1400万人が住む東京でコロナ(PCR陽性なだけ)が30人でも、変わらずマスクを外さない国民だ。
人と違う事をすると極端に目立つ世界。
違う人を認め合おう。言葉で言うのは簡単だ。
実際にそれを実行するのは、想像以上に難しいのだ。
コロナはそれを浮き彫りにした。
だからある意味今は、多様性を認め合うを実践するチャンスなのかも知れない。
多様性を認め合うとは、真の自分で生きる事
「本音で生きたい。でも人を傷つけてしまう気がして怖い」と呟いた私に、アナスタシア的世界をご夫婦で実践している二子 渉さんに
「本音で生きたいと言う願いは、真実の自分でありたい、みたいな意味だと思う。そして真実の自分である為には、真の自分として胸を痛め、真の自分として願いを抱くってことじゃないかなぁ。
そして、そう出来ている時、人は善いものでしかありえない。」
と素敵すぎるコメントを頂いた。
多様性を認め合う、って私は真の自分で生きる事だと思う。外向きと内向きで、全然矢印の方向が違うようなのだけど、そうなのだ。
真の自分で生きると、表面的な意見の違いは通り越して、深い部分で人と繋がれるようになる。
何故なら、真実の私と真実のあなたは同じだから。
NVCはそれを体感でき、真の自分に近づく為のメソッドだ。(多分二子さんが提供しているGFLも同じなのだろう)
真の自分で生きる人が増えたら、世界から争いは無くなる。
そう確信している。
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