わがままな私

 料理のことを書いてみます。以前は小説や随筆のなかに書かれた料理を再現する文士料理を供していました。妻と共著で文士料理入門という本も出せました。これを目当てに遠くから足を運んでくださるお客さんもいたり、テレビなどのマスコミにも取り上げられたり、思えばこの本も大きな反響があったんですね。どうも他人事だな。

 この本は角川書店の文芸誌の取材を見た、角川の偉い人の鶴の一声で出版は決まりました。作家と料理、いいじゃないか、と思ったのでしょう。料理をつくったのも、レシピを書いたのも、ほとんどが妻の仕事で、私は横でボーっとしていただけでした。元のネタの提供がもっとも大きな仕事でしょうか。それからは、小説を読めば料理のシーンを探すというような、ネタを探す不純な読み方をするようになり、それを私は、臭い読書と呼んでいました。何が臭い読書だ、体外にしなさいよ、と今の私はあのころの私を見て思います。

 自分につく嘘というのはその人の根幹を腐らせます。そして恐ろしいことに、腐った本人は気が付くことが出来ません。そのまま死んでしまうまで気が付かない人もいます。たぶん、死ぬ直前には気が付くようになっているのが、この世の仕組みだと思っているのですが、その時はいかんともしがたく、ものすごい後悔を抱えながら身体ごと持っていかれます。後悔先に立たずです。

 本が好きで始めたこの商売、その私が本を冒とくするようなことをしたら、それは罰があたります。日々こころが重くなり、店番が辛くなり、料理をするのも嫌になり、私も店もさぞや濁っていたことでしょう。

 これはいかん、と思い、店を立て直すことにしました。店を立て直すには、自分を変えるしかありません。とりあえず走ることにしました。全ては流れにあります。本は倉庫に入れるとまず死蔵します。古本屋あるあるです。在庫は店に出しましょう、店で売れない本はネットに載せましょう、注文があれば素早くお客さんに送ることです。流れをつくり、そこに身を入れることで、ほとんどのことは甦ります。血流だ、と思った私は走ることにしたのです。

 そのころ、斎藤さんといっしょに店をやることにしました。私は一人っ子で、たぶん溺愛されて大きくなったのでしょう。大きくなっても、それなりに女性にちやほやされました。わがままのまま中年になったのです。わがままというのはどういうことかと言えば、人のことを考えない、考える回路をもたない、ということです。

 みなさんは金正恩の幼少時代の気持ちはわかりますか。私は少しはわかります。こころには無限の地平が広がり、万能感に支配されているはずです。脳と現実のギャップを埋めるのが、成長なのだと今は思います。脳と現実が一致して成長するというのは、ものすごい幸運なことですが、これほど人を不幸にすることはありません。思い通りのわが人生。こういう子供は少なからずいます。ほとんどは、学校や、会社などの社会で、人とぶつかり合い叩かれ、時には教え諭され、矯正されて生きていくことになります。それに耐えきれず、引き込もりになる人も多いでしょう。

 あの金正恩でさえ、中国やロシア、韓国と日本、そしてアメリカという国々と対峙していくなかで、抱えていた万能感は萎み、昔よりは謙虚に生きているはずです。人と接するというのは、鉋にかけられることと似ているように思います。余計な部分が削られてこそぎ落とされるのです。実際に自分の身体に鉋をかけられる様を想像してください。ものすごく痛いはずです。皮とかはがれて血がだらだら出ていることでしょう。心も似たように痛いのです。身体と同じくらい、いや身体以上に痛がる人もいるでしょう、そうなると人となんて付き合えません。

 ながながと何を言いたいかと言えば、私はわがままで、人と一緒に仕事が出来るのかと危惧していた、ということを言いたかったのです。四十も過ぎると少しは知恵もでます。そこで、昼の斎藤さんと、適度な距離を保ち、棲み分けをすることで、私のわがままという毒が彼に沁みないようにしました。それはあたかも、北アイルランドの地で、カトリック教徒とプロテスタントたちの間に横たわる、壁のようなものでした。こころの壁、しかし、安息への壁。

 そんなわけで、斎藤さんとも四年近く、ひとつの店で二人のマスターという二頭体制を保つことが出来ています。しかし、私はこの状態を変えようと最近思っているのですが、それはまた別の機会に。

 斎藤さんがカウンターに立つようになってから、私の中でむくむくと、現状を変えたい、という気持ちが盛り上がってきました。ほとばしる血流がそうさせたのでしょう。一向に料理の話にならないまま、長くなったので、今回は筆をおきます。

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